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奈良のシカを市民が守ってきたことを知り感動 

NHKテレビ5月26日放送、歴史秘話ヒストリア

「奈良・人と鹿 1300年 涙の共生物語」を見ました。

柵のない動物園?約1200頭、これだけのシカが街中で人と共に暮らしているところは、世界広しといえども、奈良だけなのだそうです。

世界でもここだけ。まさに貴重です。

 

(以下、歴史秘話ヒストリアから)

奈良の人々はなぜシカを大切にしてきたのか

1300年前、平城京遷都の際、都の守護神として迎え入れた神様が、茨城の鹿島神社から白鹿に乗って奈良にやってこられたという伝説があるそうです。

貴族たちが、この神様を乗せてきた白鹿を神鹿(しんろく)として大切にしたため、そのうち、奈良の庶民も鹿を神の使いとして大切にするようになったそうです。

 

鹿と人が共存するための知恵

鹿と共存することによって、困ったことが次々と発生してきますが、番組によると、そのたびに奈良奉行が難問を解決していきます。

町を柵で取り囲む、秋の発情期には雄ジカの角を切って人身事故が起きないようにする等々・・・本でも調べましたが、その他、次々とアイディアを出していったようです。

(熊森から)感動その1 鹿を殺さないで問題を解決していく奈良奉行に大拍手です。

 

明治政府の県令が奈良の鹿を銃などで大量殺処分し、一時絶滅の危機に

県令の言い分:神鹿を敬うなど時代遅れの迷信で、近代化の妨げになる。鹿を殺してかわりに牛や羊を放牧して牧場にすべき。

(熊森から)県令は、鹿を殺して食べる文化を広めようとします(ジビエ料理)。

政府によって、奈良の神鹿伝統はなくなり、シカは害獣とされ、人々は有害捕獲に走るようになります。700頭のシカが、38頭にまで激減しました。

今の時代とあまりにもそっくりなのに驚きました。近代化とは人間中心・経済第一の西洋文明をまねることです。

 

◎鹿を守ろうと市民が立ち上がる

 

(明治24年7月18日)

「春日神鹿保護会」結成、リーダーは、こまものやの店主丸尾萬次郎さん

丸尾萬万次郎氏の訴え:「ご神鹿は、先祖が代々守り続けた奈良の宝やないですか」

 

(大正14年10月24日)

「神鹿問題露天大会」会場 興福寺 集まった奈良市民3000人

リーダー丸尾平次郎さん(萬次郎の息子)

丸尾平次郎氏の訴え:

奈良の鹿は誰のものでしょうか。みなさんの宝です。奈良に暮らすものはみんな先祖代々、鹿に守られて暮らしてきました。鹿に心癒されたり、角切りに夢中になったり、かけがえのない思い出がみなさんにはあるはずです。今こそ、私たちの手で鹿を守らねばなりません。力を貸してください。お願いします。

(熊森から)感動その2 魂を揺さぶられる名演説だと思います。これぞ、われら祖先の日本文化です。全生物と共存する持続可能な文明です。

この後、市民、行政、春日大社で、奈良の鹿を守ることになったのだそうです。

 

TV後談

戦争中の食料になったのか、第2次世界大戦後、鹿数は79頭にまで激減していました。

1957年、奈良(市)の鹿は国の天然記念物となりました。

鹿数が回復するにつれて、農作物被害も問題になり始めます。

1979年1981年と、被害農家が訴訟を提起。

その結果、奈良市をABCDの4地区に分け、農地のあるCD地区では、鹿の有害駆除が認められました。

感動その3 しかし、現在に至るまで、有害捕殺申請がゼロのため、旧奈良市内では1頭のシカも殺されていません。

 

(熊森の感想)

奈良の鹿にこんな歴史があったなんて、感動です。奈良の人たちを心から尊敬します。

他生物の尊厳こそが、自然保護の基本なのです。

 

 

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