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福井大学助教授のドングリ運び批判はどこがおかしかったのか②

保科氏のドングリ運び批判の問題点(前回からの続き)

 

②日本の森林生態系に対する歴史的知見の欠如

日本は歴史のある国です。目の前の自然を見る時、歴史的知見がなければ判断を誤ります。故に、森林生態学者は歴史書を読んでおく必要があるのです。

また、森林気候に恵まれた日本では、人為的な自然破壊があっても、時間的な経過により森林がそれなりに回復していくため、歴史的知見のない人は森林を見誤ります。

 

<自然撹乱の結果としての里山>

 

里山というと、一般に人々はクヌギやコナラの明るい雑木林である落葉広葉樹林を想像すると思います。しかし、気候帯から見ると、九州、四国、千葉あたりまでの里山の自然植生は暖温帯の自然植生である常緑の照葉樹林であったはずです。

 

地域によって照葉樹の種類は違いますが、大まかに言うと、九州はイチイガシ、関西はアラカシ、京都はコジイ、関東はシラカシ、日本海側は新潟あたりまでスダジイです。東北地方まで北上すると、里山の本来の自然は落葉広葉樹林です。照葉樹は海岸沿いに少しある程度です。太平洋側と日本海側では構成種や垂直分布が異なります。

 

現在、里山は放置されており、本来の自然植生に戻りつつありますが、都市近郊林であったところは、エネルギー革命が起こる前の1960年ごろまで落葉広葉樹を主とした雑木林でした。雑木林からの落ち葉、牛や馬の糞尿、藁などを混ぜて作る肥料は畑作に不可欠なものでした。このような農用林は短期で伐採される薪炭林と違って広々としたクヌギを中心とした林であり、様々な昆虫類や山野草が見られました。

 

古い本を読むと、これらのクヌギを初めとするブナ科の植物は、江戸時代、想像を絶するほど大量に海運によって全国に苗木が送られ植林されていたことがわかります。江戸時代の一大苗木生産地は摂津(兵庫県と大阪府が接する地域)でした。苗木は、近くの尼崎港まで運ばれ、そこから船で全国に送られていったのです。

 

              江戸時代の林産物の遠距離水上移動

「森林と文化」鳥羽正雄著 昭和18年発行より

 

長い年月の間に、私たちの祖先はより良い生活を求めて自然を大改変してきました。今、人々が自然と称している目の前にあるもののほとんど全てが、森林も含め、実は祖先がすでに自然生態系を撹乱し終わった後の結果なのです。もちろん、虫や細菌、ウィルスも一緒に移動したはずです。

 

ドングリの遺伝子が交雑しても、別に自然界には何ら問題はないと思われますが、西日本のブナやミズナラに関しては、長い間、高標高の冷温帯に閉じ込められてきた結果、固有の遺伝子を持つに至っていますので、これらのドングリは運んでいません。

 

熊森が運んだクヌギ、コナラ、アベマキ、マテバシイのドングリに関しては、移動させても問題はありません。

 

カシノナガキクイムシが拡散されたら大変なことになるという人もいますが、あの虫は、木に付く虫で、ドングリには付きません。

 

「自然生態系を撹乱する自然破壊行為である」と、熊森のどんぐり運びを批判される人は、祖先のしてきたことを全面否定されるのでしょうか。熊森が運んだドングリが、今以上、自然生態系を攪乱するとでもいうのでしょうか。

 

 

②<自然破壊の結果としての奥山>

 

祖先は、奥山までは自然改変できなかったはずだと思われる人もいると思います。しかし、戦後の林野庁の拡大造林政策で広大な奥山原生林が皆伐され、跡地はスギだけヒノキだけの単一人工林にされてしまいました。これらの造林は自然撹乱どころか、完全なる自然破壊です。

奥山はクマをはじめとする野生動物たちが暮らす原生的な巨木の森で、日本文明を支えてきた水源の森でもありました。奥山開発や奥山人工林化に伴う生態系破壊によって、今、全国各地で奥山からの湧水の量が目に見えて激減してきています。

 

戦後、皆伐された奥山原生林の面積は628万ヘクタールにも及び、青森から福島までの東北6県分の面積よりも広大です。

 

 

   自然が皆無の真っ暗な放置人工林内

 

戦後の国策により、原生的な森は、今や国土の7%までに激減してしまいました。わずかに残された奥山原生林は、今、人間活動による地球温暖化等が原因と思われるナラ枯れによって猛烈に枯れています。当然、野生動物たちはえさを求めて山から出て来ざるを得なくなりました。地元の方々は悲鳴を上げておられます。

 

森林総合研究所の研究員たちは、ナラ枯れの原因は里山を放置したからだと言っていますが、間違っています。ナラ枯れは日本海側のミズナラの下限域で始まり、ブナ帯で終息していますが、そこに至るまでの標高800メートルまでのミズナラは壊滅状態です。

 

余りにも多く造り過ぎた人工林、シカの増加、ナラ枯れ、ブナのシイナ化、昆虫の大量絶滅、送粉者である昆虫を失ったことによる液果の実りなし、ダムによるサケ科の魚の遡上不可など、人間活動によって引き起こされた森林破壊や環境破壊、森林荒廃によって、本州以南のクマ(ツキノワグマ)たちは、奥山にあった餌場を失ってしまったのです。

 

クマの絶滅という取り返しがつかない事態を避けるために、緊急避難措置として都会の公園のごみとして掃いて捨てられる運命にあるドングリを集めて運んだのが、熊森のドングリ運びです。餌を求め命を賭して山から出てきて人間に皆殺しにされているクマという動物の種の保全のために1頭でも2頭でも命を救おうとしたのです。

 

運んだドングリ種が発芽し成長するには、気温を初め、それなりの環境が必要です。2004年は周りの植生を見て、発芽成長が考えられないところに運びました。

しかし、もし芽が出て育っても、何の問題もありません。ドングリ類の木が大量枯死している今、気温が上昇した場所に新たな気候帯に合ったドングリ類の木が育つことはリスクではなく、むしろ喜ばしい事です。

 

2005年90%のミズナラが枯死した石川県白山

 

歴史的知見で日本の森林を見れる人なら、ドングリ運びを批判されたりしないはずです。

ちなみに森林生態学者でドングリ運びを批判された方は、これまでひとりもおられません。

 

保科氏のドングリ運び批判の3つ目の問題点は、実証なき憶測による批判であったことです。続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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