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2020-01-24

梅と備長炭の町 和歌山県みなべ町森林組合主催の環境シンポジウムで室谷会長と吉川代表が講演

クマやニホンミツバチも棲める豊かな森再生をめざそう

2020年1月18日(土)、みなべ・田辺の梅システムとして、世界農業遺産の認定を受けている和歌山県みなべ町のみなべ川森林組合主催の環境シンポジウムに呼ばれ、日本熊森協会の室谷会長とBee Forest Club の吉川浩代表が講演しました。

 

世界農業遺産は、伝統的な農業とそれに関わる技術、文化、景観、それを取り巻く生物多様性の保全を目的に、国連食糧農業機関(FAO)が認定するものです。みなべ町の主力産業の梅と高い評価を受けてきた紀州備長炭(ウバメガシの炭)を、多様性のある豊かな森と一緒に守っていきたいという、みなべ川森林組合のみなさんの思いのこもった企画です。

 

熊森は、クマから、Bee Forest Clubはニホンミツバチから始まりました。ともに日本の森林環境の危機と豊かな森の再生の必要性を訴えています。

クマの異変もニホンミツバチの異変も、私たち人間に森の危機を知らせてくれているという共通点があります。豊かな森の象徴であるB&B(Bear&Bee)のタッグでの今回のシンポジウム開催を企画されたのは、熊森会員でもあるみなべ町の真造賢二(しんぞう・けんじ)町議と、ビーフォレストクラブの会員でもある森林組合の松本さんです。

 

室谷会長は、日本の森が放置人工林により荒廃している現状を伝えました。

和歌山県の人工林率は61%、紀伊山地全体で6割を超えています。もちろん動物たちは暮らしづらく、紀伊半島のツキノワグマは四国の次に絶滅してしまう可能性が高いとされています。

荒廃した人工林は、平成23年(2011年)の台風12号による紀伊山地豪雨の際に大災害をもたらしました。生きものの棲めない森は、人の生命や財産も奪います。

2019年成立した森林環境譲与税などを使って、放置人工林を広葉樹林に再生し、みなべ地域のみなさんが大切に育んできた梅や備長炭を守ってほしいと話しました。

 

次に、Bee Forest Clubの吉川代表は、花の受粉を助けるニホンミツバチに代表される昆虫たちにより、森がつくられていること、ニホンミツバチが増えていくには、生物の多様性が保たれた森が必要であることを話されました。

ニホンミツバチやクマに象徴される豊かな森を背景に、世界農業遺産であるみなべ・田辺の梅システムを、自然と一体となったシステムとして作りあげることが、付加価値を生み、これからの農業のモデルとして発信できるはずだと話されました。

Bee Forest Clubの吉川代表。

 

最後にあいさつされたみなべ川森林組合の田中昭彦組合長も、今年の異常な暖冬が農業に与えるダメージを心配されながら、世界規模で環境問題がクローズアップされてきている中、私たちも何か行動しなければならないと力強く語られました。

みなべ川森林組合のみなさんは、今後、熊森協会と放置人工林の広葉樹林化を進めていきたいと強く願っておられました。また、森を育てるニホンミツバチの巣箱も、さっそく森に設置しようということになりました。

ただ、この地域では昨年、皆さんが大切に育てて来られたニホンミツバチが、一斉に大量死するという深刻な事態が初めて発生しており、何が起きたのか、どうしたらいいのかなどの深刻な不安も生まれています。

 

実は、みなべ町は、日本熊森協会の活動が生まれるきっかけとなった重要な町なのです。1992年1月に、現在の和歌山県みなべ町清川村で、やせてガリガリのツキノワグマが山から出てきて捕殺されました。この新聞記事を見て、熊森の前身である兵庫県尼崎市の中学生たちが、クマの絶滅を止めようと動き出したという経緯があります。

みなべ町で、ニホンミツバチやクマをシンボルに豊かな森再生の動きが始まろうとしていることに、何か運命的なものを感じます。ご尽力いただいてるみなさんに、心から感謝いたします。

みなべ町のみなさん、ビーフォレストクラブのみなさんと一緒に、熊森も豊かな森再生を進めていきたいです。

日本熊森協会が生まれるきっかけとなった朝日新聞記事。

この日のシンポジウムは、紀伊民報にも掲載されました。

日高日報と紀伊民報の記者さんは非常に真剣に最後までシンポジウムに耳を傾けておられました。ありがとうございました。

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