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シカ問題と人口爆発、シカ捕殺しか頭にない「鳥獣保護法改正案」の問題性 4/27 くまもり全国支部長会①

4月27日の全国支部長会で、シカ問題が取り上げられました。

 

シカが増えたという問題で、まず押さえねばならないのは、いつと比べて増えたのかということです。環境省は、1978年(昭和53年)と2003年(平成15年)と比べて、シカが生息域を拡大したと発表しています。

注:1978年以前のデータはありません。

 

 

以下の<シカ生息域分布図>は、環境省自然環境局生物多様性センター「自然環境保全基礎調査」2011年版によるものです。

 

青線・・・シカ保護管理計画対象地域 きみどり・・・1978年シカ生息域 赤・・・2003年シカ生息域拡大地域

 

シカ

 

 

確かに、上記資料によると、25年間の間に、 シカ生息地が拡大しています。

しかし、明治初期と比べたら、シカ生息地は大幅に縮小しています。

比較というのは、いつと比べてかによって、答えはすっかり正反対になります。

シカは元々、平地の草原や湿地に多く生息する動物でした。人口爆発と文明の近代化により、人間に次々と生息地を奪われ、本来の生息地ではなかった山に追いやられたという悲惨な歴史が本州にはあります。

また、シカは、明治期に導入された西洋文明である狩猟によって、性能が発達していく一方の銃やわなで、食料源や毛皮源として捕殺され続け、一時期絶滅寸前にまで生息数を減らしてしまいました。そのため、国によって、メスジカは捕獲禁止などの保全措置が、永らくとられてきました。

 

 

<全国狩猟者数の変化と、シカ捕獲数の変化>

環境省データをもとに熊森が作成

図1

 

 

上のグラフから、 ハンターがとても多かった1970年代でも、シカの捕獲数はわずかだったことがわかります。

環境省は、今、国会に提出している、シカ捕殺一辺倒のシカホロコースト法案である「鳥獣保護法の改正案」によって、シカをやみくもに捕殺し、この時代に戻そうと躍起になっています。

しかし、人間によってシカ数が絶滅寸前にまで激減させられていたという昭和期の状態は、人間にとってもシカにとっても本当にいい状態だったのでしょうか。

 

エゾシカ捕獲数推移

 

 

<1870年~2000年までのエゾシカの捕獲数と被害額の変化>

エゾオオカミがいたころ、エゾシカは今より多くいたということは、注目に値します。オオカミは、人間と違って、シカを絶滅させるような食べ方はしないのです。

 

人間がよく知らないだけで、シカも、日本の国土の豊かな自然環境を形成するうえで、必要不可欠な動物です。その糞や尿は、落ち葉を腐らせたりミミズをふやしたりして、豊かな大地を作リます。

この国土で人間が未来永劫に生き続けられる自然環境を保全するには、シカから奪った平地の草原や湿地を、ある程度はシカに返してやり、共存を取り戻すことが必要です。

そのためにネックとなる問題は、明治初期に3400万人だった人口が爆発し、現在1億2700万人にも達してしまっているという、我が国の人口問題です。

 

 

御存じのように、江戸期の日本は自然と共存する見事な循環社会でした。人口をあの時代の3400万人に戻さない限り、自然と共存する国には戻せないでしょう。

現在、少子化が国の大きな問題とされていますが、その背景には、人口こそ国力であるという「多人口神話」があると思います。

なぜ、爆発した人口が適正数に戻っていくことが、今、問題視されねばならないのでしょうか。

地球環境保全よりも経済が優先されるべきだという考え自滅思想が、根底にあります。

たとえば、少子化によって、年金が破たんするというプロパガンダがかまびすしいですが、それはおかしいと思います。

そもそも、国民が元気に働いている間に得た利益を、国が老後に備えて預かっておいて、老後、国民が生活に困らないように配分するのが年金だったはずです。

今、働いている若い世代のお金を、高齢者の年金に回さねばならなくなってしまっているのは、当時、国民のお金を預かった人たちが運用に失敗するなどして、きちんと基金を管理できなかったからです。運用など欲張ったことは考えず、ただ、国民のお金を預かってくれていたらよかったのではないでしょうか。少子化を多産化に転換させなければ、高齢者の年金が出せないという理屈は、自分たちの仕事の失敗の責任逃れでしょう。

 

 

国土には、自然と共存して住むことのできる人間の定員というものがあるはずです。シカ数やシカの生息域を問題にするだけではなく、人間として、この狭い国土に、何人の人間が暮らせるのか、この機会に、みんなで考えてみるべきでしょう。

もちろん、人もシカも、生命は何よりも尊重されるべきものです。人が野のものたちの命を奪うことなく、日本野鳥の会の創始者が言われたように、「野のものは野に」という祖先の哲学の元、棲み分けを復活させ、お互いに適正数に落ち着いていける方向を模索していかねばなりません。

 

 

と、同時に、農作物被害に苦しむ農家の方々や、下層植生を失って崩壊していく森林の問題など、目の前の問題にも対処していかねばならないことは、言うまでもありません。

 

 

 

 

 

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