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2012-11
11月4日 第6回くまもり東京シンポジウム 記念講演 小出裕章先生「日本の自然と原子力」
- 2012-11-25 (日)
- くまもりNEWS | 東京都 | 東北大震災・福島原発
福島原発事故以来、日本の森や動物を守るために、放射能汚染の話を避けて通れなくなった熊森です。
第6回くまもり東京シンポジウムのテーマは、[原発事故後に考える自然といのち]
会場は、渋谷にある日本赤十字看護大学
この日のために、何か月も前から準備を続けてきた関東支部長と関東支部スタッフのみなさんが、シンポジウムの成功をめざして、打ち合わせ
会場の舞台正面
参加者が集まり始めました。打ち合わせ通り、スムーズに受付が進みます。
会場が埋まっていきます。
森山会長あいさつ
「報道機関が真実を国民に伝えてさえくれれば、国民はもっと正しく判断して、もっといい行動ができる」
小出先生の登場で、大きな拍手がわき上がりました。
この日の先生の演題は、「日本の自然と原子力」です。
本当に誠実で一般国民にもわかり易く、最先端のお話をしてくださいました。一人でも多くの国民に、この日の話を何らかの方法で伝えねばならないと思っています。
後半は、熊森若手リーダーと小出先生の対談です。日本熊森協会の活動と小出先生の講演がつながります。
質問が相次いで、残念ながら時間切れに。どれも真剣ですばらしい質問でした。もっともっと国民は原子力について知りたがっていることがわかりました。
おかげさまで、いい会になりました。最後に小出先生を囲んで、スタッフ全員で記念写真。
みなさん本当にありがとうございました。
●参加者からいただいた感想
小出さんの講演を初めて聞いて、衝撃を受けました。今の日本人は、自己責任が欠如していると思います。自分が直接の加害者でなくても、今世の中で起きていることに、連帯責任を持たねばならないと思いました。小出さんが、食品の放射能汚染の話をした後、「私は食べます。福島原発事故を防げなかった責任があります」と、言われた。ごく普通の話し方で言われたため、この発言のすごさに、会場の人たちは気づかなかったのではないか。
常に被害者意識で物事を見る習慣がついてしまっている国民に言いたい。自分の子どもをかわいそうに思うなら、福島の子どもはもっとかわいそうであることがわからねばならないだろう。
放射線管理区域以上に放射能に汚染された地域の地図を見せられた時、卒倒しそうになりました。クマや森の保全を訴えてきた会長が、熊森関東が東京でこのようなシンポジウムを開くことを認めた真意について、会員として考えてみたいと思います。
くまもりの横断幕を付けて走り回っています
八幡平クマ牧場からツキノワグマを阿仁熊牧場に移送した時の写真が送られてきました。「せめてもの感謝に、八幡平クマ牧場のトラックの横に熊森協会の横断幕を発注して付けて走りたい」という牧場主の提案を、「多くの個人や団体も応援されているし、元々名を出さないように支援しようと思ってやってきたことなので、そのようなことは望んでいません」と言ってお断りした熊森ですが、牧場主が実行されたことがわかりました。現在もこの横断幕を付けて走り回っているということです。せっかくですので、みなさんにご披露しておこうと思い、写真をアップします。
一番上に、クマの棲む豊かな森を次世代へ・・・
赤字は、八幡平クマ牧場を支援している団体とあります。
もちろん当協会以外にも多くの個人や団体が、それなりに精いっぱい八幡平のクマを応援して下さっているのですから、なんらかの機会にみんなで讃え合えたらと思います。
11月24日 八幡平クマ牧場、ヒグマのひとみちゃん死亡 残り20頭に
秋田県在住の熊森研究員の報告によると、今朝、八幡平クマ牧場に残された21頭のヒグマのうち、衰弱が目立っていたひとみちゃんが死亡したということです。
今 年春に、雪山を伝って脱走したヒグマ6頭が射殺された時、23頭のヒグマと6頭のツキノワグマ計29頭のクマたちが牧場に残されていました。あれから7か 月後の今、ヒグマ20頭(現在八幡平クマ牧場)ツキノワグマ4頭(現在阿仁熊牧場)となっています。現在の所、死亡率17%。クマは強そうですが、意外と 弱い動物なのかもしれません。
先日の阿仁に移送されたツキノワグマ2頭の死因はストレス死ということになっていますが、全 身麻酔が影響したのではないかという声も当協会には、入ってきています。真実は神のみぞ知るで誰にもわかりませんが、疑わしきは次回から取り除くべきで す。来年のヒグマ移送は、マイクロチップなど入れる必要はないので、麻酔なしでやって頂けたらと願っています。(本州には野生のヒグマはいませんから、 わざわざマイクロチップを使ってまで個体識別する必要性はありません)
積雪4メートル、気温マイナス20度、八幡平の厳しい自然環境の中で、春までに死亡するクマが まだ出るのではないか。生存を危ぶむ声も聞こえてきます。これまで、このようなクマたちの世界は公表されることなく、私たち国民にとってはカヤの外でした が、今回の事故を契機に、当協会のような自然保護団体など市民の目がクマ牧場の中に入るようになり、情報が世に出てくるようになってきました。こういう風 通しの良い社会こそ、私たちが望む社会です。良きにつけ悪しきにつけ、真実を公表することは、多くの人々の理解を得るための第一歩として欠かせません。
残 されたクマたちを取り巻く秋田県庁をはじめとする職員の方々は、本来の業務外に、大変な業務を背負わされ、わからないことだらけのなかで、なんとか残され たクマたちを生かそうとみなさん必死になっておられるということです。春の事故以来、職員は、休日返上、時間外勤務の連続で、過労死するのではないかと、 上司として心配の連続だったと、ある管理職の方が語っておられました。そうだろうと思います。クマたちの命に直接かかわってくださっている方々に、全国民 は感謝と励ましを送り続けるべきだと思います。
2004年、ドングリ運びを指導して下さった研究者の家を訪問 <植物編>
2004年、ドングリ運びを指導して下さった研究者のおひとりの家を久しぶりに訪れました。
<熊森はなぜ、ブナやミズナラなどのドングリは運ばなかったのか>
先生は、全国各地のブナを栽培
階段の所に、全国各地のブナが栽培されており、先生はその違いを熟知されています。「これはどこどこのブナ。ここが違うでしょう・・・」花、芽吹き時期、実・・・等いろいろ違うのですが、黄色に色づいたブナの葉だけでも、よく見ると違いが少しずつあるといわれます。説明を聞いていると、だんだん疲れてきました。そんなわずかな違いを教わっても、わたしたちには覚えられません。要するに、ブナは地域によってDNAが違うのです。
ブナは、年平均気温が6度~12.5度の範囲で生育可能です。
先生は各地のミズナラを栽培
ミズナラはブナと違って、生育するための年平均気温の幅が大きく、ブナが育たないような暖かさや寒冷地であっても生育できます。垂直分布で見て行くと、ミズナラ、ブナ、ミズナラとなっていくそうです。このブナの上に位置する寒冷地型ミズナラは、秋になると何と葉が茶色ではなく赤に色づくのです。(写真)
このため、ブナより下で育つミズナラか、上で育つミズナラかは簡単に見分けられます。
<熊森はなぜ、クヌギやマテバシイなどのドングリを運んだのか>
先生は全国のドングリ類をすべて栽培し研究
熊森スタッフは、さすがに21種のドングリの名前ぐらいは覚えていますが、よく似たのもあり、ドングリの実だけ見せられても、葉や樹皮がないと、未だに判断に迷うドングリもあります。もちろん先生は、即判定されます。こんなことが出来る人は、他におられるのでしょうか。
これは、育てておられる17年目のミズナラに、今年付いた約3000個のドングリです。先生はこうやって、実にいろいろなデータをとっておられます。
2004年に熊森が、「クマたちの捕殺を止めるため、どこよりも自然生態系を守りたい団体として、どうやってドングリを運べばいいですか」と、ドングリ運びの相談を持ちかけた時、ドングリ種の分布図や、全てのドングリの発芽温度と生育温度の一覧表などを先生は見せてくださいました。運んでも生態系が攪乱される心配がないドングリ種と、どんなところに運べば大丈夫かなど、こまごまと先生が指導して下さり、一緒に運んでくださったことを思い出しました。
あの時の、全てのドングリの発芽温度と生育温度の一覧表はどこで入手されたのか、思いだすと懐かしくなり、たずねてみました。なんと、全て、先生の気の遠くなるような実験データだったとわかりました。先生は、膨大なデータを持ちながら、どこにも発表されません。発表することに等、関心はないのです。自分が知りたいから調べておられるのであって、人に認められたいから調べておられるのではありません。
こんな研究者は、他におられるでしょうか。ドングリの話だけでも、無限に続きます。これまで私たちはドングリについても、実にいろいろ教わり自分達でも学んできました。
その後、地球温暖化が進んだためか、特別暖かい冬があり、熊森がここでは発芽しないと思って運んだドングリ種が一部発芽したことがありました。生育はしませんでしたが。そのたびに先生に相談しに行きました。自然界のことは元々人間にははかりしえない部分がほとんどです。しかも今、急速に自然界が人間活動により変化しており、予測できないことが次々と起こっています。
今や人間は、奥山の生態系まで、スギだけにしたり、果樹だけにしたり、韓国産のドングリ苗を植えたり、生態系の攪乱どころか、生態系を確実に完全破壊していっています。やりたい放題です。林道の横の崖に吹き付けた草は外来種のオンパレード。融雪剤などの化学物質もどんどん山に持ち込みます。せめて、奥山の生態系だけは手つかずにしておいていただきたいのですが、人々は無批判です。
鳥取県のクマが生息する山でドングリ運び
クマに厳しい鳥取・兵庫
鳥取県・兵庫県は、クマを守ろうとがんばっている京都府・滋賀県・岡山県などと違って、クマがどんどん増えているとして、今年から、有害捕獲→原則殺処分に方向転換し、足並みをそろえて、クマに厳しい対応を進めています。(以前、兵庫県は、「全国一のクマ保護先進県」として、全国に名をはせた時期がありました。担当部署が変わると、すっかり対応が変わってしまいました。他生物にも優しい文明が一番優れているというのに、残念です。)10月初めの聞き取りでは、今年、両県とも15頭ものクマを有害捕殺し、誤捕獲グマは、兵庫が24頭、鳥取が14頭で、これについては両県共、全頭放獣したということです。
熊森と見解が正反対
各地の奥山のクマ生息地を長年歩き続けている熊森は、これらの県の見解と正反対の見解をとっています。森の劣化が急速に進み、動植物の姿が消えて、クマの痕跡も見られなくなってきていることにより、本来の生息地でクマたちが棲めなくなり、人間のいる所にクマたちがしかたなく出てきているとみています。目撃数が増えたと言っても、ドーナツ現象に過ぎないので、喜ばしいことではありません。絶滅に向かう一過程であるという見方をとっています。
生息場所の公表を
これらの県は、クマたちに付けられた発信機やGPSにより、クマたちが本来の生息地に棲んでいると主張されますが、詳しいデータを公表して頂けないので確かめようがありません。知り得たデータを、公表して頂きたいです。
鳥取県のクマが殺されないように、ドングリ運び
鳥取のクマたちが、食料を求めて人里に下りて行って殺されるのを、なんとか防ぎたい。11月18日、地元の方の呼びかけで、鳥取県支部と本部は、鳥取県で今年最後のドングリ運びをしました。この日、山の林道は24センチの積雪だったそうですが、除雪車が出て道路の雪を除雪して下さっていました。ありがたかったです。
鳥取というと人工林率54%。人工林だらけというイメージがありますが、今回行った所は、さすが、クマが残っているだけあって、広葉樹の自然林もそれなりに残っており、紅葉がとても美しかったです。
地元の方に、クマの通り道や子育ての場所などを対岸から見せていただき、詳しい説明も受けました。とても楽しかったのですが、人間がこんなに奥地の、クマたちの最後の国にまで踏み込んで、道路を造っていることに、不安を感じました。こういう開発が、誰にも見つからずにそっと暮らしてきたクマたちを追い詰めて、絶滅に追いやっていくのではないかと思います。クマの棲む山の中を縦横に走る立派な道路を、今更、つぶすのも大変ですが、森を残し森の生き物たちと共存するには、人間が一歩も二歩も下がるべき時だと思います。
ドングリの入った重い段ボールを抱えて、急な山道を下ります。心してやらないと、両手がふさがっている為、危険です。
クマの通りそうなところにドングリを運んで、里に出て来ないようにします。
地元から参加した一人は、「クマたちが殺されるのがかわいそうで、ずっと守ってやりたいと思ってきたが、地元ではそういう声は出しづらく、つらい思いをしてきた。こうやって、よそから守ろうという人たちがやってきて、いっしょにクマを守る話ができるのが、とてもうれしい」と、喜ばれていました。
しかし、この日、こんな奥地のきれいに色づいた広葉樹林の中にかけられたイノシシ捕獲用くくりわなに、クマが誤って掛かりました。今年17頭目の誤捕獲グマだそうです。(左は捕獲された山のイメージ写真です。こんな感じの所で、くくり罠にかかっていました)
環境省は、クマが掛からないように、シカやイノシシ用のくくり罠の直径を有害捕獲であっても、狩猟であっても、12センチ以下にするように指導しています。しかし、鳥取県は、これを規制緩和して、14~15センチまで広げて良いことにしているそうです。そのため、クマ(4~5歳メス)の左手のひらにくくり罠が食い込んでいたそうです。兵庫県は、クマのいそうなところにくくり罠をかけないように指導して下さっていますが、鳥取県では、市町村に任せており、地元ではそういう指導はしていないそうです。
こんな動物の最後の生息地に、シカやイノシシであっても罠をかけるのはおかしいと思いました。ここで、罠をかけて殺されるなら、シカやイノシシだって、どこにいたらいいのかわからなくなります。しかし、今回の罠は有害駆除ではなく、猟期の狩猟として捕獲なので、生息地のど真ん中に罠をかけても合法なのだそうです。
鳥取県はクマの狩猟が禁止されていますから、誤捕獲グマは放獣しなければなりません。その場で、短時間麻酔をかけ、罠を外してすぐに放獣してやってくれたらいいのですが、研究者や放獣業者は、いろいろとクマの体を調べたり、耳にタグを付けたり、発信器を付けたりしますから、1時間以上にもわたる長時間麻酔をかけます。このような放獣作業は、他の所で、一部始終を見て、ビデオに撮ったこともありますが、本当に残酷です。クマが弱り切ってしまいます。クマは耳を大切にしており、遠くの音を聞くときは、耳をパンパンと何度もはたいて、耳の毛をそろえると言われています。タグや発信器を付けられたら、かれらは本当に困ってしまいます。業者には県から放獣費が出ますが、相場は1頭に付き20万円です。
人間は他生物の体に何をしても許されるという発想は、普通の人のものではありません。他生物の体を物としてしか見れなくなっている多くの野生動物保護管理派学者たちの発想です。
このような人間としての倫理観の喪失は、彼らの為にも許していてはならないと思います。「あなたの来世は、野生動物かもしれませんよ。そういうことを人間にされていいのですか。」私たちの祖先が、子供たちが自然や生き物を大切にし、思いやりのある人間に育つために使った民族の知恵であるこのことばを、今、ワイルドライフマネジメント派の学者たちに送りたいです。相手の身になって相手を思いやることが出来るかどうかは、人間生活を送る上でも大切な資質です。
ドングリ運びを終えてから、どうしたら鳥取や兵庫のクマが守れるか、みんなで長時間話し合いました。この日、猟友会の方が、鳥取の山には、クマもイノシシも、もうほとんどいないと言われていたそうです。動物だけ見ていては自然保護は出来ません。山をどうしていくか考えよう。今のままの動物が棲めなくなった山ではだめだ。熱い語らいが続きます。
志を同じくする者がいる。ほんとうに、出会えてうれしいです。大切にしていきたいなかまが、この日また、増えました。
奥山の急斜面を支えてきたトチノキ巨木群を伐採業者から守る方法がない
11月17日の滋賀県朽木村のくまもり奥山調査は、急斜面を支えてきたトチノキ巨木群を伐採業者から守ろうと一生懸命滋賀県で動いておられる市民のみなさんの要請で行われたものです。
山を案内していただきながら、これらのトチノキを伐ってしまったら、山が崩れてくるのではないかと感じました。そうしたら、砂防ダムを造って抑えるのでしょうか。そうなれば、すごいお金が必要になるし、山はコンクリートで固められて生態系が壊れてしまいます。
今や奥山人工林地帯で建設ラッシュの砂防ダム(他地域の例)
今、スギは高く売れないので、放置されている杉山人工林が多いのですが、一方、トチなど広葉樹の巨木は1本100万円などと高く売れるので、わずかに残された貴重な広葉樹の巨木が、業者によって1本5万円などと2束3文で買い占められ、伐採されていっています。由々しき問題です。これらの巨木は、多くの森のいきものたちの命を支えてきた木です。
山林主たちは高齢化しており、広葉樹の巨木が高く売れることなど知りません。法廷で争う力もありません。よって、この流れを止める力が地元にはありません。日本は、自由な経済活動を認める国ではありますが、何らかの歯止めをかけないと、この国の自然はますます失われていき、取り返しのつかないことになります。野生動物たちが、山で暮らせなくなり、田畑に出て来て農作物被害を起こして農家を苦しめるようになります。水源の森はどんどん劣化して、湧き水を失い、農業用水にも困るようになります。
そばで見ると、本当に大きなトチノキでした。現在、守る会の人たちが、これらのトチノキの伐採を一時ストップさせていますが、今後どうなるのかわかりません。
案内して下さった滋賀県民のみなさんは、「ここは、琵琶湖に一番多くの水を注ぎこんでいる安曇川(あどがわ)の水の、最初の一滴が湧き出す場所なので、なんとしてもこの水源の森をみんなのために守らねばならない」と言われました。近畿2府4県1400万人の暮らしを支える琵琶湖の水です。滋賀県民のみなさんの優しさが胸にしみました。むしろ琵琶湖の水に生かされてきた他府県に住む者こそが、このような森の保全に何らかの形でかかわるべきだと思いました。
トチノキ巨木伐採跡地
トチの木巨木伐採跡地には大きな空間が残されていました。伐採にあたって、周りの木を伐ったことも関係します。
トチの木は、ヘリコプターでここから運び出されたそうです。新しくできた空間の林床は、シカが食べないシダで覆われていました。谷間には、切り刻まれた不要な木の枝が散乱していました。全て、経済第一主義・人間至上主義のなせる業です。
残念ながら、現在の法律や条例で、このような水源の森の木々の伐採を止める力になるものはないそうです。ならば、市民が立ち上がるしかありません。
官のできないことは民の手で!
どうしたら守れるか、国民みんなで考えていかねばなりません。
滋賀県のクマたちは生きていけなくなっているのではないか
11月17日、滋賀県一のクマ生息地だった、旧朽木村(現高島市)の奥山を、滋賀県支部と本部で調査しました。
人工林部分にも、紅葉の美しい広葉樹林部分にも、クマたちはもはや棲めません。林の中をのぞいてもらえば、そのわけは一目瞭然でしょう。
滋賀県は兵庫県と同じく、野生動物防除策が徹底してなされていました。電気柵、ネット、金網・・・至る所、農作物を野生動物から守るため、人間側も努力しています。大変なお金を使われています。
滋賀県のクマは、スギのかわはぎをします。そのため、皮をはがされないように、徹底したテープ巻きがなされています。クマが皮をはぐとも思えないような細い木にまで、徹底してテープが巻かれていました。やり過ぎだと思う所もありましたが、国内林業が振るわない今、森林組合は補助金で暮らすしかない為、補助金目当てに巻き過ぎも見られるということでした。
林業の生活保護化という見方もできます。
いよいよ、クマの生息地に入ります。典型的なⅤ字谷です。山を外から見た時は、紅葉のきれいな広葉樹林でしたが、ここもまた、シカによって下草が消え、町の公園状態になっており、向こうまで見渡せました。こうなってしまっては、ここにはもう、クマは棲めないでしょう。
このあたりの山は、少し前までは、1.5メートルを超えるササで林床が覆い尽くされ、藪漕ぎをしないと前には進めない場所だったそうです。以前は、クマたちの春の食料である山菜がいっぱいの山で、山菜は地元の収入源にもなっていたそうです。今は、地元の人さえ、山菜にありつけなくなりました。
高圧電線の下には、シカが行かないので、地元の方々は、そこにだけ残されたワラビを自家用に取りに行くそうです。
ナラ枯れで枯れたミズナラには、なぜか、キノコがびっしり生えます。ナメコ、クリタケなど、キノコの山になっていましたが、手放しでは喜べません。
かつてクマたちが冬ごもりに使っていたであろう、樹洞のあるトチの木が何本かありました。入り口が高すぎるように思えますが、ここの積雪は4メートルだそうですから、ちょうど良いようです。残念ながら、今は、使われていません。
造林公社によるスギ造林地(なのに水源涵養保安林に指定されている!)です。林床の緑色植物は、ユズリハやシダで、いずれも、シカが食べません。比較的新しいスギの皮はぎが何本か見つかりましたが、今年のものはゼロでした。クマはもうこの山にいないのではないでしょうか。
クマやイノシシは昔から山にいたそうです。この方は、焼いた炭を背負って山から降りてくるときなどに、百回までは行かないがそれくらい多く、クマに5メートルぐらいの距離で出会ったことがあるそうです。クマのことを、この方は、「あちらさん」と呼ばれます。
ここでは、クマに出会ったらどうするのか、代々子供の時から家で教わっていたので、事故など起きなかったそうです。
クマに対する3つの教え:①びっくりさせない。②子連れを構うな。③走らない。
山でクマに出会った時の話を教えてもらいました。「こっちもびっくりするが、あちらさんもびっくりしている。でも、あちらさんは、森の王者としての威厳を保とうという感じで、じっとしている。こちらもじっとしている。しばらくすると、あちらさんは、おもむろに、今来た道をゆっくり帰っていく。人間が見えなくなったころ、いつもあちらさんは、ダッシュして一目散に走って逃げる。それで、偉そうに見せていたが、本当はあちらさんもこわかったんだなあといつも思った」
シカとサルが、10年ぐらい前から、村に現れ出したそうです。これまで、こんな動物は知らなかったと言われます。シカやサルは群れでやってきて、その辺にある食べ物を根こそぎ食べていきます。クマは強そうですが、実はシカ・サルに食料を奪われ、生きられなくなっているのではないかということです。
滋賀県のクマたちも、絶滅が近いのではないでしょうか。しかし、うれしいことに、滋賀県行政のみなさんが、なんとかクマを守ろうと一生懸命取り組んでおられます。今年のクマ捕殺数も、1頭だけです。熊森は、自然保護団体として、滋賀県のクマ対応を高く評価します。
京都府のクマたちは生きていけなくなっているのではないか
(1) クマ捕獲数の推移グラフ (昭和43年~平成22年度)
以下は、京都府におけるクマ捕獲数の推移グラフです。白が狩猟による捕殺数で、黒が有害駆除による捕殺数を表しています。尚、このグラフには記載されていませんが、平成23年度の有害捕殺数は4頭で、平成24年度の有害捕殺数は2頭です。
現在、京都府では、クマの狩猟は禁止されています。
(グラフをクリック頂くと拡大されます)
ふつうこのようなグラフは、平成以降だけが提示されますが、昭和43年からが提示されていることによって初めて見えてくるものがあります。クマの捕殺合計数が激減していっているのがわかります。
最後の平成22年度は、夏の食料である昆虫も、秋の山の実りもないという異常年で、食料を求めて人里に出て来た54頭のクマが、有害捕殺されています。
この異常年を除いてみると、クマがますます激減しているようすがうかがえます。しかし、グラフの解釈はいろいろにできますから、これだけでは断言できません。
実際の京都のクマの生息地を訪れてみました。
(2)芦生原生林五波峠 (2012、11、7)
少し前まで人間の背丈を越えるササで覆われていた林床ですが、温暖化で枯れたり、シカによってきれいに食べ尽くされたりして、原生林が、まるで都会の公園状態になっていました。臆病なクマは、姿を隠せなくなったこのような所には棲めません。
広大な山が公園状態 → ここではもう臆病なクマは棲めない。
ナラ枯れで枯れたミズナラの巨木が、撮影地点の周りを見回しただけで約30本倒れていました。1本の木で、1万個ほどのドングリが実っていたと予測されますから、クマたちは冬ごもり前の食い込み用食料を、もはや原生林で以前のようにはとれなくなってしまっています。
下に生えている緑色の植物は、エゾユズリハやヒメユズリハで、毒性があるため、シカが食べません。
→ ここではもうクマが棲めない。
ほとんどのスギの木に、クマハギの跡がありましたが、最近のものはゼロでした。
→ ここには、もうクマがいない。
ここの原生林には、クマの痕跡はゼロであるばかりか、他の動物たちの痕跡もほとんどありませんでした。2012年度はここでは、シバグリ、ミズナラ、コナラのドングリは、並の下ぐらいの出来で、1平方メートルに30個ぐらい落ちていました。そこそこ落ちているという感じでしたが、食べに来ている動物がほとんどいませんでした。テンの糞がたった2ヶ所、シカの糞が少し。シカも、ここで食料を食べ尽くしたので、里の方へ移動しているのではないでしょうか。トガリネズミの掘った穴2ヶ所。あとは何もない山でした。アカネズミ、ヒメネズミ、ヤチネズミの巣穴見つからず。
(クマがクマノミズキを食べると、種子まで噛み砕く 。)
<考察> 人工林、ナラ枯れ、昆虫謎の消滅(温暖化?)、シカの食害・・・本来の安心して身を隠せた奥山生息地と食料を失ったクマたちに今必要なのは、
研究者や業者が主張しているような、クマの出没予防専門官の育成でも、「野生動物管理システム」という名の捕殺を含めたクマいじくりまわしでもなく、「昆虫がいて下草の生えた森を取り戻す森復元・再生事業」であると、熊森は思います。
さらに大事なことは、人間が1歩も2歩も下がって、彼らの生息地に入らないようにすることです。平地をすべて取った人間は、奥山だけでも、動物たちに返しましょう。これが、21世紀に人類が生き残る唯一の道です。
京都府行政は、今年、クマの目撃が多かったにもかかわらず、捕殺を2頭と、最少に押さえておられます。自然保護団体として、熊森は、京都府のクマ対応を高く評価します。