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2013-02

これでは国民洗脳番組です   2月14日  NHKクローズアップ現代「ハンターが絶滅する!?見直される狩猟文化」

気の毒にも、NHKは、国策の代弁報道をする義務を背負わされているのでしょうか。

 

残念ながら、こと自然に関しては、「クローズアップ現代」は、これまでも環境省の国策を是として、国民を洗脳し、環境省の思う方向に国民を誘導する報道を繰り返してきました。一般の方々がこういう番組を見て、報道内容をそっくりそのまま信じてしまわれるのではないかと思うととても怖いです。放映終了後、ただちに、NHKに抗議の電話を入れましたが、苦情担当者の方が、本気で聞いてくださったようには思えませんでした。

 

「クローズアップ現代」の大きな問題点

①環境省の一方的な見解だけを報道し、反対意見を一切報道しない。

②いろいろな説があってよく分からないことを、こうだと断定報道する。

 

国谷アナウンサー

「かつて日本でも、山里では貴重なタンパク源として、山の命を山の幸としてごく当たり前に食べ、日本独特の狩猟文化がはぐくまれていました」

 

→熊森から

上の、かつてというのは、いつのことをさしているのでしょうか。以前から熊森は、環境省自然環境局野生生物課鳥獣保護業務室が推進している、「日本人は狩猟民族である。若者よハンターになれ」という環境省のキャンペーンに、疑問を呈してきました。以前、日本人が狩猟民族であったという証拠を示してほしいと環境省に問うと、当時環境省のHPにアップされていたこの関連ページが突然閉められてしまったのを記憶しています。

(現在の環境省キャンペーン目指せハンター 狩猟の魅力 まるわかりフォーラム

 

確かに、縄文時代は、狩猟採集文化であったと思いますが、基本的にはその後、稲作漁撈文化に変わっていったのではないのでしょうか。

東北の一部に、マタギと呼ばれる人たちがいましたが、全人口から見ると、パーセンテージにもあがらない、ごく例外的な少人数だったと思われます。

江戸時代、狩猟が許されていたのは、将軍や天皇家などの特権階級だけではないのでしょうか。山奥の人たちが、銃を持っていたといっても、おどし銃として持っていた場合も多く、ごく当たり前に狩猟していた割合がどれくらいあったのか、今となっては調べようがありません。

独特の狩猟文化がはぐくまれていたといわれていますが、文化というのは、日本人の多くが行っていた場合に使う言葉だと思います。 歴史を振り返ると、676年の天武天皇の「肉食禁止令」から始まって、明治になるまでの1200年間、肉食や殺生や、狩猟に対する禁令が出っぱなしに出続けています。禁令を破る人がいたからでしょうが、いつの世でも、決まりを守らない人はいます。しかし、日本人の特質として、多くの人は、決まりに従ったと思われます。

昔の記録は少なく、今となっては当協会も確かめようがないのですが、少なくとも、狩猟が日本に入ってきたのは、明治時代です。

 

明治になって、一般国民が狩猟して良いことになると、エゾシカやカモシカなどが乱獲されて一気に絶滅しかけました。そこで、国は慌てて、これらの狩猟を禁止しました。この時代ぐらいになってくると、記録も多くなってきます。といって、明治になって、狩猟が日本文化と言われるほど国民一般に広がったわけではありません。田口洋美氏の研究では、日露戦争時(明治37年)の国内狩猟者は、統計では20万人、実質では、30~40万人ということです。

環境省の「若者よ、ハンターになれ」キャンペーンは、ある意図の元に、日本人は元々狩猟民族であると国民に思わせようとしているものであるとしか、考えられません。

一歩下がって、日本は狩猟文化の国であったという研究者を紹介するとしても、しかし、違うという研究者たちも多くいるのですから、同時に紹介すべきでしょう。アナウンサーに断定表現を使わせるべきではないと思います。

 

 

国谷アナウンサー

「人間と自然とのバランスが崩れた大きな要因となっているのが、ハンターの減少です」

 

→熊森から

またまた、アナウンサーに断定させていますが、この問題については、熊森は何度も何度も環境省に反論を申し入れてきました。環境省は上のことを印象付けるために、「狩猟免許所持者数の推移グラフ」の出し方を、いつも1970年からに操作して、国民に提示します。どんどんとハンターが減っていくから、シカがどんどんと増えていくと誘導しようとしているとしか思えません。

<猟免許所持者数の推移グラフ>

年齢別狩猟免許所持者数の推移実際のハンター数の推移と、鹿の捕獲数の推移を見

てみましょう。

 

 

 

 

 <猟免許所持者数の推移グラフ>  1946年から2000年までのグラフで、中央が1970年です。

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<シカの捕獲数の推移>  1923年から2004年までのグラフです。

シカ捕獲数の推移 環境省グラフを熊森編集 特定鳥獣保護管理計画作成のためのガイドライン(ニホンジカ編)H23

この2つのグラフから、ハンター数の減少とシカ捕獲数(生息数)の激増とは、無関係であることがわかります。以前、ハンター数が今より少なかった時、シカもとても少なかったのです。今たまたま、ハンター数の減少と、シカの激増時期が、重なっただけです。

このような、グラフのごまかし提示によって、国が若者に、「使命感を持ってハンターになれ」と呼びかけるのは、恥ずべきことです。乗ってしまう人も出てきます。その人が若い女性であれば、国策推進のための看板として使われます。

 

ハンターが減ったから、シカが増えたという説を紹介してもいいのですが、同時に、そうではないという説も紹介しないと、国民に思考力を付ける教養番組になりません。報道と洗脳は違うのです。

 

例えば、他の説として、今、シカが激増しているのは、戦後の林野庁が行った拡大造林が原因だという説があります。わが国では、どんどんと奥山のブナやミズナラなどの巨木を伐採して、国を挙げて、1958年ぐらい~1990年ぐらいまで、スギ・ヒノキ・カラマツの苗木を植えに植えていきました。その結果、苗木が小さい頃は、奥山が草原だらけになり、シカの食料が激増してシカが増え始め、自然界のバランスが崩れ出した。その後、スギ・ヒノキ・カラマツが大きく繁るようになると、下草が消え、シカは食料を失って山を出始めた・・・などの説があります。この説は、100年前に絶滅したオオカミが現在のシカ激増の原因だという説よりも、年代的には今起きている事象とぴったり合います。

 

いろんな説を検証して提示し、真実を求める国民が、真理を追究できるような番組を作ってこそ、放送料金を取れるNHKになれると思います。

 

今回は苦言を呈しましたが、クローズアップ現代が、番組制作姿勢を大転換して、国家権力から独立した中立の番組を作るようになってくだされば、こんなうれしいことはありません。

 

 

2月12日 同じ兵庫の山、同じ兵庫のクマを見ているのに、どうしてここまで出した結論が正反対なのか   ―― 日本熊森協会と兵庫県森林動物研究センターとの第1回意見交換会 ――

都道府県の野生動物問題について、電話でたずねたり何かをお願いしたりしようと思ったら、たいてい、そこの都道府県庁に電話をして、担当部署につないでもらいます。クマを駆除したり、奥山に放獣しなければならないなどの実際的な業務が生じたら、行政から委託されたハンターや委託業者が現地に飛んでいきます。兵庫県も、以前はそうでした。

 

し かし、兵庫県では、2007年から、県庁から遠く離れた旧青垣町(人工林率81%)に建設された、兵庫県立「兵庫県森林動物研究センター」が、その業務を担 当することになりました。「兵庫県森林動物研究センター」では、研究員として兵庫県立大学の先生たち数名が研究にあたられ、現地に飛び出していく専門員としては訓練を受けた兵庫県庁職員数名があたられて、オール公務員で、兵庫県の野生動物問題に対処するという新体制ができあがったのです。

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ところが、困った問題が生じてきました。当協会も、、徹底した現場第一主義で山を歩き回って調べつづけているすばらしい何名かの研究者に指導していただきながら、自然保護活動を進めてきたのですが、同じ兵庫の山、同じ兵庫のクマを見ているのに、出した結論が、熊森とセンターでは、ことごとく正反対なのです。これは、いったいどういうことなのか。

 

2 月12日は、「兵庫県森林動物研究センター」の相談日だったようですが、ご無理をお願いして、研究員の先生方や専門員の方に午後の3時間をとって、一体なぜこんな違いが生じるのか、当協会側の研究者にも同席していただいて、初めての意見交換会を持っていただきました。

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私たちも、正直に誠実いっぱいに、これまで生きてきた人間です。お互い、自然観や動物観の違いはあるでしょうが、じっくり話し合えば、誤解がとけたり、なにか少しは接点が見つかったりするのではないかと期待して意見交換会にのぞみました。

 

中心話題

(1)クマが山から出てくるようになったわけ

(センター)クマの生息数増加、生息地拡大、人慣れ、味しめ、人間による里山の放置、ハンターの減少 ⇔ (熊森)山の食料不足

 

(2)兵庫県のクマ数の増減

(センター)大幅増、そのうち狩猟再開も視野に ⇔ (熊森) クマの生息を示す痕跡がどんどんと減ってきており、絶滅に向かう恐れ。多くいるように見えるが、山の奥にはいないドーナツ化現象。

 

(3)兵庫の森の状況

(センター)ますます良好に ⇔ (熊森)どんどんと劣化が進む

 

意見交換会の結果

意見交換会を持てて、とてもよかったと思います。私たちがわかったことは、「同じ兵庫の山、同じ兵庫のクマを見ているのに、この違いは何なのか」という長年の疑問に対して、「お互いが、違うエリアの山、違うエリアのクマを見ている」ということです。

 

私たちは、自然保護団体として、主に、本来のクマ生息地であったブナ・ミズナラの山々を見続けてきました。戦後の観光開発や広大な原生林を伐採してのスギの人工林化によって、動物たちは棲みかを失っただけではなく、わずかに残された原生林も、なぜか、近年どんどんと急速に劣化していっており、クマたちが棲めなくなっていっています。クマたちが食料を求めて、山から出て行くと、原則殺処分の有害捕殺が待っています。

 

ところが、センター側は行政ですから、主に、地元住民から獣害を何とかしてほしいと訴えのあった集落周辺の山やクマを見ています。

 

立場が違うということは、こんなに見えているものが違うのかということが、よくわ かりました。

 

お互いに相手の顔を見てじっくり話し合うということは、人間にとって欠かすことのできない大切なことだと改めて思いました。意見交換し合ったことを、これから、熊森内部でじっくり検討していこうと思います。

 

お忙しい中、お時間を取ってくださったセンターのみなさんに、心よりお礼申し上げます。

2月9・10日 厳寒の秋田県八幡平クマ牧場・阿仁熊牧場を12名で訪問

市民団体として八幡平・阿仁両熊牧場の今後の支援の参考にするため、厳寒のクマ牧場のクマたちに会いに行ってきました。

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早朝、伊丹空港を立ち、羽田空港、大館能代空港と乗り継いで、やっと、八幡平クマ牧場に到着です。

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運動場は、雪で埋まっていました。夜は、日によっては、マイナス20度にもなるそうです。積雪は3メートルぐらいでした。

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雪囲いされた獣舎の前に、参加者一同、勢揃い。

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1200万円の寄附金を集めた側の責任として、20頭のヒグマたちに会って、クマたちの健康状態や、八幡平クマ基金の支援金がこれまでどこにどのように使われたのか、直接、確認をして回りました。

ヒグマは皆起きていました。来冬からは、冬ごもりをさせてもらえる予定です。

ヒグマたちはどれもコロコロと太っていて、ぬいぐるみと見間違えそうでした。獣舎が狭くて古くてクマたちにはかわいそうなのですが、どのクマも顔つきが本当に穏やかになっており、十分な食料と愛情を持ってよく世話されていることがわかりました。

わたしたちは、リンゴやパンや野菜をたくさんあげました。1頭ずつに声をかけて歩いてみましたが、どのクマとも心を通わせあうことができることがわかり、本当にうれしくなりました。

地球には、こんなに魅力的な動物が大自然の中を走り回っているのかと思うと、感動でいっぱいになりました。

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宿泊場所に行くまでの道中に、広大なブナの純林がありました。皆驚いていました。

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2日目は、阿仁の熊牧場を訪れました。ここも、雪で埋まっていました。こちらのクマたちは、昨年秋に八幡平熊牧場から移動されたツキノワグマたちも含め、皆冬ごもり中でした。

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ヒグマたちが暮らすことになる新施設の建設予定地を見る

みなさんお世話になりました。本当にありがとうございます。大変多くのことを学ぶことが出来ました。今後に生かしていきたいと思います。
(注:今回の参加者の視察は自費参加であり、皆さんに頂いた八幡平クマ基金の寄付金は使用しておりません)

クマ保護管理計画に関するパブリックコメントの結果  A県&B県

A県・・・「クマの有害駆除の許可権限を、現在の県から市町村に降ろす」という案について

応募されたパブリックコメントは、県内から13人、県外から36人、応募意見は100%が、反対意見だった。

 

→しかし、その結果県が作った<第2期ツキノワグマ保護管理計画案>は、

原案通りのままであった。パブリックコメントというのは、県が県民に参考に意見を聞いてみただけで、応募意見の全部が反対であっても、原案を変える必要はないということです。

 

 

B県・・・ 当協会が特に問題とした2点は、以下です。

①春グマ狩りを復活させる。

②現在、4月1日から、その年度のクマ捕獲数のカウントを開始しているが、猟期が始まる11月15日からに変更して、毎年、狩猟が確実に実施できるようにする。狩猟で獲り過ぎた年は、有害捕殺数の方を押さえる。

応募されたパブリックコメント県内17人、県外392人、応募意見の約3分の2は、原案に反対意見だった。

 

→ しかし、その結果、県が作った<第3次ツキノワグマ保護管理計画案>は、①②とも、原案通りのままであった。

 

県としては、県外からの意見も一応、全部読むことは読んだが、参考にしようと思ったのは、県内在住者の意見ですということです。

担当者としては、パブリックコメントをとったのは、参考にしたい意見があればと思ったのであって、原案に反対する人が多くても、原案通り進めて問題ないという考えだそうです。

 

<熊森から>

ただ単に、日本におけるパブリックコメントの実態を、国民のみなさんに知っておいていただこうと思って書きました。

 

2013年 第1回くまもり本部森再生活動 間伐、調査…開始!

2月2日(土)、寒さが和らぎ、すごしやすい 陽気の中、2013年第1回森再生活動を実施しました。

 

今年初めての活動なので、作業前に米・酒・塩を山の神様に献上し、祝詞を奏上しました。

熊森本部の森再生チームは、自然への感謝と畏敬の念をもって活動しています。作業の安全と豊かな森になることをみんなで祈念しました。

以下が、祝詞(のりと)です。

 

山神祓

(やまのかみのはらひ)        

高天原に神留座す

(たかあまはらにかみずまります) 

皇親神漏岐神漏美の命を以て

(すめむつかみろぎかみろみのみことをもちて)

大山祇大神を奉請て

(おおやますみおおかみをおぎまつりて)

青體の和弊三本白體の和弊三本を

(あおとのにきてみもとしらとのにきてみもとを)

一行に置立て種々の備物置高成て

(ひとつらにおきたててくさぐさのそなえものおきたかなして)

神祈に祷給えば

(かみほぎにみほぎたまえば)

速納受て禍事咎祟は不在物をと

(はやきこしめしてあしきこととがたたりはあらじものをとを)

祓い給い清給由を

(はらいたまいきよめたもうよしを)

八百萬神等諸共に所聞食と申す

(やおよろずのかみたちもろともにきこしめせともおす)

さあ、今年の活動開始です。

①沢の水と土壌のPH値の測定を行いました。

沢の水:6.6 土壌:6.3

PHは酸性雨等の影響でもう少し低いと思っていたので、意外でした。

②次は、樹高の測定です。

目測・樹高計測定・実測と3種類の測定をしました。

測定を繰返し、誤差±1m程度まで精度があがりました。

③久しぶりのチェンソーでの伐倒でしたか、基本はしっかりと身についていて、安全に伐倒することができました。

今年もケガ・事故がないように安全第一で活動していきたいと思います。次回のフィールド活動は、2月17日(日)です。

みなさまのご参加お待ちしております。

1月27日 太郎と花子のファンクラブ  2頭が作った今年の冬ごもり穴

雪がちらついて、全てが凍っている、零下2度の和歌山県生石高原山上でした。太郎は、雪の中で食事。

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<今年の2頭の冬ごもり穴>

太郎作…今までで一番深い穴です。

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花子作

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今回は4人でお世話しました。次回のたろはなは、2月24日です。みなさんご参加ください。

1月24日 本部職員・東京都会員・山梨県支部長ら、クマ保護と森復元を訴えて、東京多摩地区行政を訪問

無念にも殺された1頭の子グマが、1月24日~25日、本部職員、東京都会員、山梨県支部長を動かしました。

 

新年早々、熊森本部は、昨年12月25日のクリスマスの日に、東京都あきる野市でツキノワグマの子ども1頭が罠にかけられ捕殺された事件を重く見て、現地調査&役場への「クマ保護と森復元」の申し入れに出向くことを決定しました。

 

こ の母子グマが、民家のキウイを食べたりごみ箱をあさったりしたのは本当ですが、冬ごもり期をむかえて、食い込みができていなかったためです。新聞報道によ ると体長60センチで10キロしかなかったそうです。(痩せてガリガリ)こういう場合、殺すのではなく、傷病鳥獣扱いで、保護対象にできなかったのでしょうか。まして、東 京都のツキノワグマは、絶滅危惧種であり、絶対に守らねばならない対象のはずです。

 

あとわずかとはいえ、<首都に、野生のクマが棲んでいる>のは、日本国民の誇りです。平成24年度は、前代未聞、東京都では、4頭ものクマを有害捕殺しています。東京都のクマの灯を消すな!わたしたちは、今後のことも考えて、東京都の多摩地区に残されたクマの保護に、全力を挙げて取り組まねばならないと思いました。

 

関東でクマの奥山放獣に取り組んでいる方に、相談してみました。

「母子ぐまに罠をかけて、子グマだけが掛かった場合は、→その場でただちに放すのがこの世界の鉄則で す。近くに絶対に母グマがいますからね。母グマにとって何がショックと言って、子グマが罠にかかるほどショックなことはない。ここは怖い所だというので、 動ける力があるなら、子グマを連れてどこかへ消えるはずです。母子グマがそろって掛かった場合は、奥地放獣です。東京都に放獣体制がないなら、次回から、うちが放 獣してあげますよ」(熊森が放獣費用を全額負担することは可能です)

 

うーん。今回のあきる野市の事件でも、この子グマが殺されて以来、残された母子グマの目撃が、ぷっつりと途絶えています。餓死したのかもしれませんが。

 

絶滅危惧種を守るために、人間側がすべきだったこと。

①短期的

・捕獲された子グマは、ただちに放す。

・母子グマを人里離れた所に誘導し、ドングリなどをたっぷり与えて元気にして、冬ごもりに入れるようにする。それが難しい場合は、母子グマを捕獲して保護施設に収容し、ドングリなどをたっぷり与えて春になったら奥山放獣。熊森が、ただちに大量のドングリを無料で現地に届けることは可能です。

②中期的

・行政担当者や都民への提案や啓蒙

③長期的

・奥山人工林の強度間伐などによる、自然林の生息地復元

 

 

→多摩環境事務所(都庁の出張所)

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→あきる野市役所 ・人工林率82%

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→現場視察・聞き取り キウイ畑(あきる野市)

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→青梅市役所・人工林率73%

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→奥多摩町役場 人工林率47%

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→立川市役所での記者会見

 

(結論) 食い込みが出来ずに、冬ごもりに入れず、痩せてガリガリになって人間の前に出て来たクマの保護に備えて、クマ保護施設の建設が必要。

●世話やエサやりは、熊森がボランティアで請け負うこと可能。

 

この子グマは、住民の安全を脅かす危険が高いという理由で捕殺されました。しかし、10キロの子グマに、何の危険性もありません。

今後、現地の方々にクマや森に対する理解を深めていただくために、シンポジウムを開催したり、山の見学会を催したりしていく必要を感じました。

 

 

くまもりの夢

熊森は、人間がこれまでの人間中心主義を反省して人間が一歩下がり、広大な奥山に自然の豊かな森が復元・再生されて、野生鳥獣たちが安心して棲める聖域が復活されることを夢見て、日々、活動にいそしんでいます。

このような活動は、清らかな水源を確保して、未来の子ども達の生存を保障することにつながるもので、全生物と子どもたちへの最高のプレゼントであると確信しています。

 

以前、くまもりの夢が実現したあかつきには、熊森を解散しようと考えていました。しかし、今は違います。解散している場合ではありません。

 

なぜなら、今、多くの子どもたちが、人間は人間に生かされている、人間は科学の力で生かされていると錯覚しています。

これは大問題です。くまもりの夢が実現したら、熊森は次には、「どんなに科学が発達しても、人間は未来永劫、豊かな自然がなければ生き残れない」ことを人々、特に子供たちに伝え、自然を守ることの大切さや自然のすばらしさを体験していただくような活動にシフトしていこうと思います。

 

 

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