ホーム > アーカイブ > 2013-03
2013-03
今や、シカ問題は最重要国家課題のひとつ 2月23日(土)近畿中国森林管理局(林野庁出先)主催シンポジウム 「シカと森と人の葛藤」に参加して
大阪駅前のシンポジウム会場「AP梅田」は、満席状態でした。野生動物関連のシンポジウムで、これだけの都会人が集まるのは、発表者の一人、高槻成紀氏(麻布大学獣医学部教授)も言われていたように、異常だと思います。
それだけ、シカによる農作物被害・森林被害が、一気に異常事態にまで発展しているからでしょう。
わたしたち近畿地方の熊森も、もう、国が乗り出さないと、この国は森を失ってしまうのではないかと思うほど、シカ問題には危機感を感じています。
熊森本部は、NPO法人奥山保全トラストを抱えています。この部門は広大な原生的自然林を所有しています。そこに柵を張り巡らし、シカから森を守らねばならない時が来るなど、つい最近まで、思いもよりませんでした。一体なぜ、シカの群れが、原生林の頂上まで上がってきて、下草や稚樹まで食べ尽くしてしまうようになったのでしょうか。
様々な研究者から、興味深い発表が続きました。発表者の中には、「シカ問題は戦後の林野庁の拡大造林が原因であり、人災だ」と、訴えておられる方も2名おられました。
当時、奥山原生林を大伐採した後、植林苗が小さい時、大草原が出現し、シカが爆発増加したそうです。
スギ・ヒノキの植林苗が大きくなって、下層植生が消えると、増えたシカたちは、人里や、山の上へ移動し始めたというのです。
そのころは高度経済成長期で、わたしたちも、森や野生動物に関心を持っていなかったので、実際はどうだったのかわかりません。
どなたか、この頃の山の中を調べておられた人はいないのでしょうか。
下の写真は、瀧井暁子氏(信州大学)による、長野県におけるシカの季節移動調査報告
自然界は、神の手としか思えない見事なバランスの上に成り立っています。人間がいったんそのバランスを崩すと、ここまで一気に収拾がつかなくなるものなのでしょうか。
歴史上、日本人が1回も経験したことのない、「爆発増加したシカに、田畑や森を荒らされる」という、お手上げ状態が出現しています。
といって、シカは森林生態系の大切な一員です。シカがいることによって生かされている生き物たちもたくさんいます。
「シカ殺せ」だけの今の対策には、違和感を感じます。
滅ぼすわけにはいかないのです。どうしたらいいのか。シンポジウムでも、対症療法ばかりで、これという解決策が出ませんでした。
日本の国土が、やがてイギリスのように、緑は緑でも、草原の国になってしまうのではないかと不安になってきました。
100年後・・・かつて日本には森がありました。
こんなことにならないように、全国民の英知を集めるべき時だと思います。
いや、その前に、シカによってどのような大変な事態が起きているのか、ほとんどの国民は今、都会に住んでいるため、知りません。まず、みんなに知らせなければならないと、強く思いました。
兵庫県森林動物研究センター主催シンポジウム <野生動物の保全と管理の最前線>拡大する被害にどう立ち向かうか」に参加して
2月16日、兵庫県立美術館で、今年も、7種(クマ・サル・シカ・イノシシ・アライグマ・ヌートリア・ハクビシン)の野生動物の保護管理(=ワイルドライフマネジメント)に携わる兵庫県立大学の先生方や森林動物研究センターの専門員(県庁職員)のみなさんによるシンポジウムがありました。
みなさん、大きな声で、しっかりと発表されており、立派だと思いました。
また、今年は、動画が多用され、よりわかりやすく臨場感のあるものとなっていました。
さらに、少しだけではありましたが、戦後の開発や拡大造林政策が野生動物たちに及ぼした負の影響や、シカによる下層植生の消失問題なども取り上げられ、内容が年々レベルアップしていると感じました。
わたしたちが特に興味深かった発表について、まとめてみました。
●「野生動物はなぜ出没するようになったのか 」
藤木大介氏(兵庫県立大学)
野生動物たちが人里に出て来る大きな要因は、①個体数増加、②分布の拡大、③里山環境の変化、④行動の変化なのだそうです。(熊森が発表するなら、①奥山環境の変化としたと思います。)
60年間の植生変化
我 が国の国土の植生記録で最も古いのは、戦後のアメリカ軍(進駐軍)の空撮なのだそうです。そのため、1950年より古い資料はありません。写真を見なが ら、植生に合わせて地図上に色塗りをしていくのだそうですが、本当に緻密で根気のいる作業だったと思います。兵庫県では、広大に存在していたアカマツ林 (赤色)が、60年後の今、ほとんどがコナラ林(落葉広葉樹・黄色)に遷移したのだそうです。
(熊森からの注:クマの食料は、春夏秋と刻々と変化していきます。それらの全てが揃っているかどうかは、コナラ林であっても、内部を調べないとわかりません。「コナラ林≠クマが生息できる森」なのです。)
ちなみに、以下の植生図中、青色は草地や荒れ地で、黒色は針葉樹の人工林で す。
この60年間の森林の変化のうち、野生動物の生息環境としてマイナスに働いたのは、下の左地図で、針葉樹の人工林の増加(黒色)と、開発による森林消滅(赤色)だそうです。また、プラスに働いたのは、下の右地図で、アカマツ林のコナラ化(緑色)と、草地や荒れ地が森林になったり(青色)、植林されたり(黒色)したことなのだそうです。
兵庫県のシカは、拡大造林が盛んだった1970年(昭和45年)代は県内1000頭以下で、絶滅が心配されるほど減っていたのだそうです。それが、現在14万頭ぐらいに激増しているのだそうです。
クマは、1970年代は、氷ノ山・扇ノ山山系のごく狭い範囲に数頭程度、床尾山系に数頭程度で、絶滅寸前だったと推測されるそうです。1992年ごろのクマは数十頭で、絶滅が危惧されていたのが、現在は、数百頭に激増しているのだそうです。
以下は、長野県が推定した、長野県内シカ生息推定数の変化だそうです。
(熊森より1)うーん。藤木氏の主張はわかったけれど、実際はどうだったのか。私たちも刺激されて、いろいろな方法で調べて、熊森説を打ち出していけるようになりたいと思いました。
以下、参考資料のひとつ。昭和28年から平成24年までの兵庫県ツキノワグマ捕殺数の推移です。青色が狩猟数、赤色が有害捕殺数を示しています。
平成になるまでは、クマたちは山奥にいて、奥地の人たちとうまく共存していたことが、下のグラフからも、これまで熊森が聞き取りをしてきた地元の高齢者のみなさんの証言からもわかります。兵庫では、クマ狩猟数も毎年ごくわずかで、クマに狩猟圧がかかっていたとは思えません。
山がコナラ林に遷移して、コナラが実をつけ出したのは、何十年も前からで、わたしたちが活動を開始した1992年頃には、すでに、里山のコナラ林は放置され、巨木になっていました。しかし、クマたち山の動物たちが大量に人里に出て来たのは、2004年2006年2010年です。このずれは、どう説明できるのか。自然界のことは、本当にわらないことだらけなのです。できるものなら、森の動物たちに、一体最近山に何があったのか、インタビューしたい気持ちに、しばしば襲われます。
(熊森より2)もう一つ興味深かったのは、最後に森林動物研究センターの林良博所長が、野生動物への餌やりについて話されたことです。所長によると、世界中どこへ行っても、人間という動物は、何人であっても、野生動物を見たら餌をやろうとする傾向があるのだそうです。所長は、もっと人間は理知的になって、餌やりを止めよと訴えられていました。他人や他生物を見たら、何か食べ物をあげたいと思うのは、人間の共生本能なのでしょう。
平野虎丸顧問、大分県の環境林と生産林をきちんと分けた「次世代の大分森林づくり」の取り組みを絶賛(くまもり本部も絶賛しています)
<以下、平野虎丸顧問ブログより抜粋>
昨年、豪雨による激甚災害があった大分県で、沢の両岸の植林スギを伐採する事業が始まるという話を聞きました。てっきり、民間団体が始めるのかと思っていたら、実施するのが大分県!であることがわかりました。素晴らしい話なので、その日に、日田市で面識のある大きな林業会社を経営されている方に電話をさしあげましたところ、「知らないけれども、たまたま明日、大分の森林審議監が日田市のパトレア日田に来られるから紹介しましょう。」ということになりました。
大分県での取り組みについて話が聞ければと思い、2月19日、パトレア日田に出かけたところ、なんと、偶然というか幸運というか、大分県の林業のトップである足立紀彦森林審議監の講演会が15時から16時まであり、私が知りたかった「次世代の大分森林づくり」の講演会でした。
話を聞いてびっくりです。災害に弱い林業への反省と共に、今後の展望もかなりしっかりと描かれていました。
昨年の九州北部豪雨では、農地や漁港などにスギ流木被害が多発。人工林からのスギの流木が凶器になった。河川沿いのスギが多く流失して川幅が広くなった。最近では、台風による風倒木被害、林地崩壊、流木被害に加えて、尾根や急傾斜地において手入れ不足の木材生産地や、再造林放棄地が増えている。などの現状を踏まえ、「今後は、木材生産に向かない尾根や河川沿いは『環境林』として、自然回復に任せる、植えない」などという話には心底、感動しました。
低コスト林業に向けての取り組みについても、これまで1ヘクタール3000本植林していたところを、半分の1500本にすることや、下刈り作業も、芝刈りのようにきれいにする必要はなく、スギが雑草や雑木に負けない程度に適当にすればよい。そうすることで、木材生産コストも50%削減出来るなどと、話されていました。この低コスト林業の話にも、感動しました。1へクタール1500本植林とすることで、急斜面や沢に無理やり植林する必要もなくなります。下刈りをきれいにしないことで、シカが植林地に入りにくくなり、シカ食害と言われるものも減るとおもわれます。よいことばかりです。
私は、森林と林業をきちんと分けて対策を立てましょう、と常々言ってきましたが、大分県の新しい構想では「環境林」と「生産林」とにきちんと分けてありました。
昨年の大災害での反省をきちんと踏まえた未来林業への取り組みを早々に始められた大分県に、心から敬意を表したいと思います。
河川沿いのスギを現実に伐採するとなると、難しい問題が多々あってスムーズには行かないと思いますが、これまでどれだけ多くの人が亡くなっても反省のなかった林業から、流木被害のない林業に代わっていく取り組みが始まるとは、歴史的な転換です。私が思っていたことが少しづ動き始めてとても喜んでいます。
九州において大分は林業の先進地であり、この大分から林業が変わっていけば、他の県にも波及していくものと確信しています。
大分県の次世代林業への取り組みに、私にも出来ることがあれば微力ながらお手伝いさせていただきたいと思っています。
平野虎丸顧問、むかしの熊本の山を語る
熊本の林家に生まれ育って75年、当協会顧問平野虎丸氏が、野鳥密猟Gメンの活動に忙しい中、合間を縫って、熊森本部事務所を訪れてくださいました。戦後の拡大造林などで、人間が自然生態系を破壊してしまう前の、熊本の山の話をしてくださいました。若いスタッフたちもみんな、目を輝かせて長時間聞き入りました。
自然を守るといっても、人間が余りにも今は何もかもに手を入れ過ぎてしまったので、今の人たちには、どんなのが自然の生態系なのかわからなくなっています。どれも大変興味深いお話でした。ほんの一部ですが、ご紹介します。
Q1:NHKクローズアップ現代が,かつて、シカが増えなかったのは、狩猟圧があったからだというのですが。
A: 自分の所では、考えられない。昔は、今のように山に道路がなかったし、もちろん車もなかった。シカは、当時、早朝家を出て昼にやっと到着するような奥山にいた。そこまで、道なき道を斜面をよじ登っていくん だが、普通の人が行けるようなところではなかった。昔は、銃の性能も悪かった。猟師でも、年に1~2頭シカが獲れたらいいとこ だった。
Q2:NHKが、増えたシカが生態系を壊しているというのですが。
A:人間は何を勘違いしている のでしょうか。生態系を破壊しているのは人間です。野生動物には、本来、生態系を破壊するほどの能力はありません。野生動物は銃も機械も使えず、林道もコ ンクリート道路も大きなダムも造ることが出来ません。原生林を伐採したこともありません。一斉造林をしたこともありません。野生動物が、人間よりも大きな自然 破壊力を持っていると、本気で信じているのでしょうか。森を破壊しているのは人間であることぐらい、小学生だってわかります。生態系を破壊しているのは人 間です。
Q3:拡大造林前の自然の山には、実のなる木がありましたか。
A:いっぱいあったです。山の中には、野生の柿や栗もたくさんありました。柿や栗は、どれも幹の直径が70センチぐらいの巨木でした。今栽培されている柿の木は、毎年実るでしょう。あれは人間が接ぎ木したものだからね。特別であって、自然じゃない。山に自然に生えていた柿の木は、数種類あって、成り年が微妙にみんなずれていた。その結果、毎年どれかの実がなっていました。実はどれも小さかった。種類によって、指の先ぐらいの実もあれば、ピン球ぐらいの大きさの実もあった。実は小さかったが、もうびっしり大量になるんです。今のように何の実りもない年とかはなかった。栗もね、実は小さかったが、びっしりなっていた。
Q4:山の生き物は多かったですか。
A:鳥がいっぱいいた。クマタカがうちの猫や鶏小屋の鶏をしょっちゅう獲っていった。蛇は1回山に入ると、10匹~20匹ぐらい出会った。昔の山にはハチがものすごくたくさんいた。ハチは大切な役目をしている。1度、巨木を伐ったら、ハチが怒って攻撃してきて、ひどい目にあった。その木に、ハチが巣を作っているのがわからなかった。地上10メートルぐらいの所に巣を作っていたようだった。ハチは、木のいろんな高さの所に巣を作るからね。昆虫は、もういっぱいいたから多すぎて気にもかけなかった。里山にはタヌキ・ウサギとかいろいろいた。マムシも沢山いたが、マムシは匂いがきついので、いるなとすぐわかる。独特のにおいだ。それで人間は注意するので噛まれることは無かった。
Q5:去年、人工林を中心に、熊本でも、山があちこちで崩れましたが、人工林の根が小さいからですか。
A:植林した木が、成長して重くなってきたのです 。植林スギは根が小さいので、重くなった自らの体重を支えきれなくなって、どんどん崩れ始めました。これからますます崩れて来ますよ。