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2015-11-08
10月18日 神奈川県での森山会長講演
- 2015-11-08 (日)
- 会長講演会
相模原市で、法人会員主催の森山会長講演会が催され、57名の方がご参加くださいました。準備してくださった方、参加してくださった方、みなさん、本当にありがとうございました。
<会長講演要旨>
1、命あふれる地球
無限ともいえる宇宙の中で、生命の存在が確認された星は、いまだ地球だけである。
その地球も、初めは火の玉だったと言われている。もちろん、その頃は、生物などいなかった。地球年齢46億年の間に地球は徐々に冷え、海ができ、35億年前にミクロの生物が水中に誕生したといわれている。現在、地球上は南極から北極まで、海の底から高い山の頂上まで、動植物や菌類など多種多様な無数の生命があふれる星になっている。
今、存在している生物、かつて存在していた生物、これら無数の生物の気の遠くなるような長年のはたらきも加わって、今日のすばらしい地球環境が形成されていった。一番最後に登場したのが、われら人類である。
2、産業革命で、人間による環境破壊が始まる
人類は初め、地球環境に合わせておとなしく暮らしていたが、そのうち、今まで地球上に誕生したどの生物もがしなかったことをし始めた。つまり、開発という名による地球環境の改変や工業化である。もちろん良かれと思ってやり始めたのだが、結果的には、生物が住むのに最も適した理想中の理想である地球環境を、自らの手で破壊し、汚染していくことになったのである。
しかも、これらの人間活動によって、他生物を次々と滅ぼし、人類という動物だけが増殖していく地球にしてしまった。現在、人口爆発が止まらなくなっている。この地球は100億人以上の人間を養えないと言われているが、もしそうなら、2050年には地球人口が100億人に達する勢いであるから、破滅は目前だ。
3、地球環境も生態系も、人間には永遠に造れない
20世紀の終わりに、アメリカの科学者たちは砂漠のど真ん中に、広大な閉鎖空間を造り、その中に各地から集めた土や動植物を持ち込んだ。現代科学の総力を集めて、実験的に自然生態系を作ろうとしたのだ。計算では、この中で、8人の人間が100年間暮らせるはずだったが、酸欠になったり、動植物のほとんどが死滅したりで、実験はすぐに失敗に終わった。地球の生態系は、人智を超えた超複雑なもので、絶妙のバランスの上に成り立っている。人間が逆立ちしても決して作れない神の領域だったのだ。
人間が自然界をコントロール出来ると錯覚している人たちが今もいる。そのような人たちは、中途半端にしか自然を知らず、本当の自然界の複雑さを知っていないのだろうと思われる。
人間はこれだけ科学が発達した21世紀の今も、そしてまた、今後も未来永劫に、地球の自然に生かされているに過ぎない動物であり、その地球環境を破壊し汚染することは、人類が自らの首を絞めていることになる。
地球46億年の歴史を1年のカレンダーにあてはめると、人類が誕生したのは12月31日23時58分であり、長い地球の歴史から見ると、たった今、地球上に誕生したばかりの生物である。その人類が地球環境を破壊して、もう絶滅しようとしている。
3億年生きたと言われている恐竜が滅びたのは、地球上に巨大隕石が落ちて、一時期、地球環境が大破壊されたからと言われている。恐竜からすれば不可抗力である。しかし、今、人類絶滅の引き金を引いているのは、人類そのものである。このまま絶滅したら、その愚かさと傲慢さを恐竜に笑われるだろう。
しかも、人間の罪深いところは、自分だけではなく、何の罪もない他生物まで巻き添えにして滅びようとしていることである。
4、生き残るには、破滅型現代文明の方向転換が必要
自らの欲望を抑えられなくなり狂ってしまったとしか思えない現代人に、以前、私は絶望していた。人間のように自分のことしか考えない貪欲で浅ましい動物は、早く滅びた方が他生物や地球環境の為になる。そこまで思った。しかし、教え子たちが滅びたくないと言い出した。ならば、以前のように、自然そして全生物と共生共存する方向に現代文明を転換させていくしかない。
私たちの祖先は見事な循環文明を築いていた。そして、森や多くの生物たちを保全することに成功してきた。現代人は、これら先人の知恵に学ばねばならない。かつて他地域にもこのような文明が存在した。これらの文明は、経済優先、人間中心、科学過信の近代文明の対極にある。
5、文明の方向転換には、巨大な自然保護団体が必要
私たちは、まず、クマたちが作る生物の多様性にあふれた保水力抜群の水源の森(=熊森)を、全生物のために、人のために保全・復元・再生しようと固く決意した。考えられるすべての部署に頼みに行ったが、動いてくれる所はまったくなかった。自分たちでやるしかないと思い至った。ただし、少人数ではできない。大きな運動にしていかなければならない。
1997年、日本熊森協会を発足させた。
会結成から19年、全精力を傾けて熊森活動にまい進し続けている。
<わかったこと>
●官僚
官僚が地球環境を保全するような国策を作ってくれるように、自然保護団体としてかれらと対話し続けていかなければならない。しかし、たとえ私たちの言うことが正しいとわかっても、巨大組織の一員である限り、かれらがこれまでの流れを変えることはむずかしい。
●研究者
日本では、研究者の研究費は国や企業からしか出ないので、研究者であり続けるためには、国や企業に迎合する研究や発表しかできない。自らの正義感と良心に従って、真実を発表しようとする研究者を見つけるのは、至難の業である。このような研究者には、自然保護団体から研究費を出せるようになりたいものだ。
●メディア
メディアが勇気を持って真実を伝えてくれたら世の中はもっとよくなると思うが、スポンサーがついている以上、そのようなことを期待するのはむずかしい。
今後は、ネットに期待したいところであるが・・・ネット情報の真偽を判断するむずかしさなど、諸問題もある。
では、どこをどう動かして世の中を変えるのか。政治家に動いてもらうしかない。
●政治家
これまで国会議員をはじめ、多くの議員に会ってきた。うれしい誤算として、どの党にも、いい国を作りたくて、国民のためになりたくて、政治家になった人たちがおられた。
数年前、熊森が全国会議員にアタックしたとき、このような議員さんを筆頭に、熊森の主張に賛同を示してくださった国会議員が衆参合計200名もおられた。政治家に動いてもらうしか、社会を変える方法はない。ただし、政治家に動いてもらうには、会員数が多くないとだめだ。
●一般国民・子ども
一般国民、特に子供たちは、全生物への共感本能をまだ失わず持っている。よって、物言えぬ生き物たちの代弁ができる。この共感本能こそが、地球環境を守る原動力となる。
これからの日本は、今のようなお上の国ではいけない。ヨーロッパのように市民みんなで考えて市民みんなで決める市民社会を構築していかねばならない。なぜなら、一般市民は欲に狂っていない。権力は必ずいつか必ず腐るといわれるが、一般国民は、権力を持たないので、腐りようがない。狂っていない腐っていない一般国民こそが、正しい判断を下せるのである。
国が悪いと言う人がいるが、それは違う。国民のレベル以上の政府は持てない。水源の森や生物の多様性、全生物の生命の尊厳を守るという公約を掲げたら選挙に通るという国にしていけば、国は変わる。結局、全ての鍵を握っているのは、わたしたち一般国民である。
<最後に>
熊森と同じことを願っている国民が、無数にいることがわかってきた。しかし、思っているだけ、願っているだけで、みんな孤立しており、世の中を変える力には全くなっていない。国民は、くまもりをはじめ、活動に賛同できるさまざまな市民団体に、勇気を出してどんどん入会してほしい。会員数は、署名数よりも、ずっと大きな力を持つ。何もできなくても、会員になることが意思表示であり、社会変革につながるのである。
国民はバラバラであってはならず、あちこちで集い、連帯すべきである。地球環境を守るために、民主主義国家であり続けるために。