くまもりNews
5月5日 人工林率61%の町で、初のクマ生息地会員のつどい (兵庫県但馬)
- 2011-05-07 (土)
- 企画・イベント
熊森が1997年の設立時に考えたことは、「工業立国一辺倒・第一次産業軽視の今の国策を方向転換しなければ、この国は森を荒らし野生鳥獣を滅ぼし湧水を失い、亡びる。国策の方向転換を図るためには、★日本に国を動かせるような完全民間の大自然保護団体を育てねばならない。そのために、戦略として、以下の二つをとる」でした。
①徹底した現場主義で、地元に通い続ける。
②最初、本部事務所は人口の多い都市部に置き、まず都市市民から賛同者を多く得て、地元支援ができるようなしっかりとした会の人的財政的基盤を築く。
わたしたちスタッフが寝食を惜しんでくまもり活動に人生をささげてきた結果、ありがたいことに、多くの都市市民の賛同を得ることができ、14年間で、上の目標は達成されました。(一口に14年間と言っても、大変な年月です)
いよいよこれからは、地元会員のみなさんの賛同者を増やし、「クマの棲む豊かな森を次世代へ」残すための、地元の方々による地元活動の活性化を図る時がきました。そこで、この度、熊森としては、初の地元会員のつどいを、兵庫県のクマ生息地で持ちました。
会員でない方も何名か参加して下さり、総勢22名のつどいとなりました。最初、自己紹介をしあいました。会員でない方から、
「熊森って、都会の暇人のお楽しみ会じゃないのか」
とか、
「クマ、サル、シカ、イノシシ、わたしたちとしては、みんないらない」
という本音の声が出されました。本音を出せる雰囲気を作ることはとても大切です。何を言われても、決して怒らず、にこにこしている熊森スタッフたち。私たちは、ずっと14年間、こうやって活動してきました。
この日、自然の研究をされている地元の先生に、勉強会をしていただきました。(別項)
会の最後に、森山会長が、
「地元のみなさんは、増大する鳥獣被害を受けておられるので、鳥獣なんていなかったらいいのにと思われるのも無理ありません。しかし、そもそも、どうして近年、こんなに山から鳥獣が出てくるようになったのかというそもそも論が大切です。
そもそも、彼らの生息地であった奥山を、人間が戦後、スギの人工林にして放置し、彼らのえさ場を壊したから、かれらは生きられなくなって山から出てきているのです。
動物が棲めなくなったこれらの山は、災害を起こしやすく、人間にも山崩れや水害などの、しっぺ返しが来ます。第一、農家の方は、農業用水あっての農業です。農業用水を湧き出させる保水力豊かな森は、クマ、サル、シカ、イノシシが造っています。かれらを敵とせずに、もう一度この国で共存する方法を考えませんか。
都市市民は、同じく生きとし生ける動物としての倫理観から、また、都市の水源確保のためにも、そして、地元の方々を災害から守るためにも、奥山を広葉樹の自然林に再生することに協力したいのです」と、あいさつしました。
帰り際、参加者のおひとりが、「どうも自分たちは、熊森を誤解していたようだ」とつぶやかれていました。
会が終わってから、地元の議員さんが、「地元の全こどもたちに、熊森を広めたい。どんな協力も惜しみません」と言ってくださいました。地元の会員さんは、「何をしたらいいか教えてくれたら動きますから」と言ってくださいました。
地元会員のつどいはまだこれが1回目。前途は多難でしょう。しかし、15年目の熊森は、全ての生き物と全ての人間のため、クマ生息地会員の方々にも動いて頂いて、何があっても奥山保全・再生を進めていく決意です。