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1月14日 秋田にマタギの子孫を訪ねて

マタギについて、これまでいろいろな方の話を聞いたり、本を読んだりしてきました。関西に生まれ育った私たちにとっては、いまひとつ不明なマタギです。いろいろな説がありますが、マタギの子孫に会って直接話を聞いてみようと思い立ちました。

どんな問題でもそうですが、昔のことは今のように記録が残っているわけでもないので、何が真実か、なかなかわかりづらいものがあります。

 

秋田県上空で飛行機から秋田の山を見降ろしました。山の人工林部分と自然林部分が、はっきりと区別できます。黒く見えるのが、クロキと呼ばれるスギです。本当に黒く見えます。自然林部分は、落葉広葉樹が葉を落としているので、雪が積もり、白色です。

こうやって見てみると、秋田県の山も、スギだらけです。人工林率50%と発表されていますが、本当だろうか、もっと人工林率が高いのではないかと思えてきます。

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これまで秋田行きは、内陸の大館能代空港を利用することが多かったのですが、今回は秋田空港着です。秋田は大雪で埋まっていると思ってやってきたのですが、日本海沿岸には雪がほとんどありませんでした。当然ですが、同じ県でも場所によって降雪量は全然違います。

 

マタギの里は、雪で埋まっていました。

 

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マタギの子孫の方に、8時間もの長い時間、お話をお聞きしました。それでもまだ聞きたいことが残ってしまい、もっともっと時間が欲しいと思いました。とても興味深く楽しい語らいで、夢中になって聞いてしまいました。

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<熊森がした主な質問>

・マタギとは何か。

・マタギであった祖父や父親の暮らしはどのようなものであったか。

・なぜ、マタギを継がなかったのか。

・今後のクマや森への思い。

 

マタギの家に暮らした方のお話は、マタギを取材したり研究したりした方のお話より、直接的でした。

 

この方は、初めて銃を撃ったとき、獲物に命中したのだが、致命傷を外れていたので、獲物はケガをした形になったそうです。そのとき、銃を撃ったのは自分だが、突然獲物がかわいそうになって、何とかして助けてやりたい、生かせないか、撃たなければよかったと強く思ったそうです。これが、この方がマタギを継がなかった理由の一つです。わかるような気がしました。いろいろな人がいますが、ほとんどの人間はこのタイプだと熊森は思います。

 

この日の語らいで一番驚いたのは、マタギのみなさんが、クマを山神様からの授かりものとして、とても大切に思って愛していたことです。昔、クマは害獣ではなかったのです。

 

必要なものしかとらないのがマタギで、祖父が生涯に獲ったクマは50頭ぐらい。発達した銃を使って多くのクマを獲った父親でも、生涯に100頭ぐらいだろうということでした。巻き狩りは30人ぐらいで行うそうですから、一人あたりの分け前は知れていたのではないかと思いました。アイヌの、クマを神として崇める文化との共通性を見ました。

 

また、映画や漫画などに出て来るマタギの話の中に、いくつもの嘘があることを思い知らされて愕然としました。そういう物は、娯楽として面白おかしく衝撃的に作られており、マタギはあんなことしないよ、クマはあんなことしないよと教わるたびに、熊森としてこれからどうやって世間に訂正していけばいいのだろうかと、頭を抱えてしまいました。

 

少年時代、マタギの祖父や父親と野山を走り回ったというこの方は、秋田の大自然が育てた生き物や人へのやさしさと魅力でいっぱいでした。秋田でも、山奥に造られた道路やスキー場によって、野生動物たちが山から追い出されているそうです。20年前までは、冬の山は、ウサギの足跡だらけだったが、今は本当にもう見なくなった。ヤマドリとも本当に会えなくなった。感覚的には、山の生き物たちは、以前と比べて10分の1に減ったと思うと言われました。秋田でも、大変な事態が進行していることがわかりました。

 

最後に、この方が、「山を思う気持ちは、マタギでなくても必要です。守っていかないと、いつか山はダメになってしまう」と言われたのが心に残りました。

 

聞かせて頂いたたくさんの貴重なお話を、今後何らかの方法で会員のみなさんに伝えていきたいと思います。

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