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3月26日 くまもり鳥取県支部が、岩手大学青井俊樹先生の講演会を実施

鳥取県のクマ生息地のどまんなかである八頭町船岡地区公民館で、午前中にくまもり鳥取県支部総会が開かれました。

午後からは地元の方々にも参加していただき、「クマとの共生を考える」として、青井俊樹先生の講演会を持ちました。

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講演会場風景

 

青井先生は、北海道大学に在学中、北大クマ研究会に所属され、40年間クマ研究の第一人者として活躍されてきた方です。熊森が誕生した1997年の同年に、日本における人間とクマ類との共生を図るために必要な活動、調査、検討および情報交換を行うことを目的に、主に大学のクマ研究者たちが参加する日本クマネットワーク JAPAN BEAR NETWORKを立ち上げられ、初代代表者となられました。

 

実は、20年ほど前、青井先生が和歌山県の北大演習林におられたころ、くまもり森山会長は青井先生らに案内していただいて、和歌山の山や山に林業家が仕掛けていた熊檻を見て歩いたことがあります。しかし、この1日で、二人は決別してしまいました。

 

あれから20年、鳥取県支部が企画した講演会の講師名を見て、本部は驚きました。しかし、支部の独自性や判断を尊重し、熊森本部は講演会を承認しました。

当日は、森山会長ら3名が本部から出席しました。青井先生と森山会長。お互いに、心穏やかならぬものがあったと思われます。青井先生は、「敵陣に一人乗り込む気持ちでやってまいりました」と、あいさつされました。森山会長は、「遠い所、しかも、熊森主催の講演会によく来てくださいました」と、感謝の気持ちを込めてあいさつしました。

 

いよいよ講演会が始まりました。講演が2時間、質疑応答が30分でした。

講演内容はクマたちの命の尊厳を忘れないすばらしい研究や取組の発表で、熊森会員必聴でした。会員のみなさんには、何らかの形で今後、お伝えしたいと思います。また、熊森が教わることも、多々ありました。講演内容の基本姿勢は、まさに熊森と同じであったと思います。

 

以前、熊森が、当時のクマ研究者たちに違和感を持って決別した原因は何だったのか。もうずいぶん前のことですが、思い出すと、研究者たちがクマを研究したい一心で一生外れない発信機付首輪をクマの首につけたことが大きかったのではないかと思い出されてきました。熊森は、いくら知りたいことがあったとしても、人間が、クマの首に一生外れない重い発信機を付けることは、絶対に許せないことでした。

 

現在は、調査が終われば遠隔操作で、クマの首についている発信機を外してやっています。この問題はもう追求すべきことではなくなっていますし、20年間の間に、気が付けばお互いに同じ道を歩くようになっていたのかもしれません。

 

また、当日、クマ生息地の会員のみなさんや会場に来てくださった地元の方々の発言を多々聞けて、大変参考になりました。どなたも、2010年のクマ大量捕殺年以来、ほとんどクマを見かけなくなったと証言されていました。

同じ東中国山地の隣接県で、兵庫県側は、クマが爆発増加していると言い、鳥取側はほとんどいなくなったと心配している。1頭まで正確に数えられるサルなどと違って、これだけ科学技術が発達した今でも、クマの生息数の推定は不可能で、神のみぞ知るなのです。

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 森山会長  青井先生  鳥取県圓田支部長

 

結果として、とてもいい講演会になりました。森山会長は、青井先生を鳥取空港まで送って行き、喫茶店で、飛行機の時間ぎりぎりまで話し込み、さまざまな点で意気投合していました。すっかりわだかまりが解けたようでした。これから良いお付き合いをしていけそうです。

この様な機会を作って下さった鳥取県支部長をはじめ支部スタッフのみなさんに、心から感謝します。

講演会場に来てくださっていた地元の方の中から、熊森新会員が誕生しました。ご出席くださった地元のみなさんも、ありがとうございました。

 

 

 

 

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