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追悼 保利耕輔議員

保利耕輔氏
保利耕輔氏

 

新聞報道によると、自民党政調会長や文相を歴任された保利耕輔元衆議院議員が11月4日、誤嚥性肺炎のため死去されました。89才でした。保利耕輔氏は政界を引退されるまで、熊森協会の顧問を務めてくださいました。まったく偉ぶらず国民に対しても謙虚で、まさに人格者でいらっしゃいました。

 

以下、新聞報道より

1979年の衆院選に佐賀全県区から自民公認で立候補し、初当選され90年に第2次海部内閣の文相として初入閣。党国対委員長、小渕再改造内閣の自治相・国家公安委員長も務めた。
2005年の「郵政政局」で自民を離党。06年に復党して政調会長を務めた。当選12回を重ね、14年の衆院選に出馬せず、政界を引退した。

 

<熊森からの追悼>

 

初めてお会いしたのは2002年でした。初対面の私たちに、大変丁寧に1時間も対応してくださり、感激しました。佐賀県の放置人工林の写真をたくさん見せてくださり、私もこの放置人工林の問題を何とかしなければならないと思って頑張ったけどうまくいきませんでしたと、肩を落として話されました。

 

話の後、突然林野庁に電話してくださり、「長官はいるか。熊森協会が来られているんだ。熊森の話をしっかり聞くんだ」と、長官を探し続けてくださいました。あいにく、長官は不在とわかり、N02の審議官ならおられることがわかると、秘書さんを付けてすぐ林野庁まで私たちを連れて行ってくださいました。

 

後で、受付の方に、「自民党の中には、見ず知らずの一国民にここまで丁寧に対応してくださる国会議員さんがおられるんですね。今日は感激しました」と、お礼を言いに行くと、「保利議員は特別です」とあっさり答えられました。私たちはラッキーだったんだと感謝しつつ、なんとか保利さんの後を継いで放置人工林の問題を解決しようと、固く決意しました。

 

この後、熊森も精いっぱい頑張り続けていますが、あれから22年、未だ何ら進展せずに今日に至っています。

保利さんがお元気なうちに、放置人工林問題解決のご報告ができなかったこと、熊森は無念です。

この問題を解決しないと、クマが奥山に帰れません。

 

しかし最近は、役場の若い担当者たちが、子供のころから見てきた放置人工林を自然林と勘違いし、これが自然だからと、何の疑問も持たなくなってきました。びっくりです。

 

熊森は、放置人工林問題に国が動き出すまで、どこまでもあきらめずに、今後も取り組んで参ります。

保利さん、今後もどうか、天から応援していてください。

最後になりましたが、当時、秘書さんにも大変お世話になりました。

心からお礼申し上げます。

 

2002年5月30日発行の保利議員とお会いした時のことをまとめた、当時の会報を添付します。

 

保利議員の記事

 

 

良かったらご覧になってください。

 

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