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くまもり本部・支部、人身事故とクマの絶滅回避のために、里の実りを山に運んでいます

奥山原生林でひっそりと生きながらえてきた日本のクマたちは、戦後の林野庁の拡大造林政策と、奥山開発で、広大なえさ場を人間に破壊され、生息地を失いました。

外から見ると青々とした人工林、林内食料はゼロ

 

さらに、近年、残されたわずかな自然林の中から、ブドウやイチゴ類など果肉が多汁で柔らかい果物である液果の実りが少なくなっています。受粉してくれる昆虫が、地球温暖化等の影響で大量絶滅したからです。

ほとんどの液果は虫媒花です。写真は、ミズキ  

 

ドングリ類など実の堅い堅果の実りも少なくなりました。酸性雨等の影響で、木々が弱ってきており、大量枯死してしまったからです。(ナラ枯れ、カシ枯れ、シイ枯れ)

今年枯れたクヌギの巨木(兵庫県)

今年夏の鳥取大山のナラ枯れ(赤色部分の木が枯れてしまった)

 

様々な液果の実りやミズナラを中心とする堅果の実りに頼って生きてきたツキノワグマたちは、食料を失いました。ツキノワグマは日本の奥山にいるだけでは生きられない状況になっています。ブナは幹の構造上、ナラ枯れしませんが、多くの地域で、去年も今年も大凶作。実りがゼロです。木々が弱ってきているのです。

 

こんなことになったのはすべて人間活動が原因です。

 

冬ごもりに備えて今大量の堅果を食べ続けなければならないクマたちは、連日、里の木々の実りを求め、次から次へと山から出てきています。

クマと共存する経験をしたことがない集落では、対応の仕方がわからず、皆さん悲鳴を上げておられます。

猟友会、警察、行政、マスコミなど大勢で1頭のクマを追いかけまわして、クマをパニックに陥れ、人身事故を誘発させています。

 

クマは人間と違って、本来、争いを避ける大変平和的な動物です。至近距離での突然の接触を避ければ、人身事故のほとんどは防げます

 

日本のほとんどの役所は、クマが出てこないように里の柿の木を伐ったり、里の柿の実をもいで捨てたりするよう、地元に指示しています。

しかし、里の実りを利用できないと、クマたちは生きるために仕方なく、里を通り越して、その先の市街地に出て行くようになりました。

これが今、日本中で起きているクマ騒動の実態です。

 

熊森は、臆病なクマたちが、夜こっそり民家の柿の木に登って柿の実を食べていたら、静かに見守ってくださいと地元にお願いして回っています。

奥地に行くと、昔からクマと共存してきた集落が今もいくつもあって、必死で柿を食べるクマを皆さんそっと温かい目で見守っておられます。こういう集落では、クマによる人身事故は全く起きていません。

 

このようなことが無理な集落では、柿の実をもいでください。

熊森も手伝って本部・支部、みんなでどんどん山に運んでいます。

熊森本部資料より  山中のクマの通り道に運んだドングリと柿

熊森本部資料より  ドングリやカキを食べたクマの糞

熊森本部資料より  人間の運んだドングリを食べに来たクマの兄妹(自動撮影カメラ)

 

以下は、今年、くまもりの支部から送られてきた10月の活動報告写真です。

集落の方と協力して、一緒に、軽トラでごみ袋50袋分ものもいだ柿と集めたドングリを、クマが山から出てくる道に大量に運びました。

 

次の日見に行くと、「クマのエサ場です。近寄らないで下さい」という看板を、地元が立てておられました。

 

辺り一面クマの糞でいっぱいでした。

もいだ柿の実、ドングリを運び続けると、クマをこの場所で止めることができます。

 

 

平地のクヌギやコナラのドングリを、クマの通り道に運ぶ熊森会員たち

 

この町では、山裾に実のなる木をたくさん植樹して、令和のクマ止め林を作っていこうという熊森提案に賛成する方が、何人も出てきました。

 

熊森は、奥山水源の森の再生活動を進めるために結成されたボランティア団体で、がんばっています。しかし、これには時間がかかります。

当面のクマ対策として、平地向きのドングリや、カキ、クリなどを地元の皆さんと、山裾にたくさん植えていこうと思います。

 

飢えて人里に出て来ざるを得ない哀れなクマたちが、やっとのことで見つけた食料を取り上げた上、「危険」とレッテルを貼り殺してしまう。こんな行為が、今、日本全国で展開されており、このようなことが続けば、クマの個体数は激減し、クマは確実に絶滅します。

 

熊森は、やさしい解決法が一番優れていると思います。

 

クマが里や街中に出てきたという現象だけを見ている人たちは、現在のクマの異常事態に対してびっくりするような間違った原因説を出しておられます。

 

<クマが山から出てくる誤った原因説>

1、クマが爆発増加した(クマ爆発増加説)
熊森反論:本来の奥山生息地は空っぽです。

2、クマが人間をなめだした(人なめ説)
熊森反論:人間が怖いから人間から逃げようとして人身事故を起こすのです。

3、クマが山のものより里のもののほうがおいしいと味を占めた(味しめ説)
熊森反論:実験で、ドングリと柿やリンゴを同時に与えると、クマはドングリに飛びつきます。

4、クマが生息地を拡大しようとしだした(生息地拡大説)
熊森反論:生息地拡大ではなく、ドーナツ化現象です。

5、地元が里山を放置した(里山放置説)
熊森反論:里山は1960年から放置されています。

 

どうしてこんなに誤った原因説が世に出回るのでしょうか。

日本熊森協会の原因説は、ただ一つです。

→1、山から食料が消えた

 

小泉進次郎環境相が26日にクマ被害対策の会議開催を表明されているそうです。

クマの生息環境の危機的な状況も踏まえた共存のために何をするべきかを具体的に進めることができる会議になることを祈るばかりです。(完)

新潟県クマ生息地調査でわかったこと

6月20日(木)、自然保護団体として久し振りに新潟県庁を訪れました。

もちろん、「第2期新潟県ツキノワグマ管理計画」を熟読した上でのことです。

事前に、県民生活環境部・環境企画課・鳥獣保護係に電話を入れておきました。

できれば、森林環境税のこともあるので、林政課の担当者ともお会いしたいなと思いました。

兵庫県西宮市にある熊森本部から飛行機で新潟空港へ、新潟駅からはバスに乗って県庁前で降りました。

えらく立派な県庁ですが、外にも内にも人影がほとんどありません。

 

新潟県庁

 

新潟県の人口は約222万人。人口が少ないからなのでしょうか。

知る人ぞ知るですが、明治初期、新潟県の人口は東京都よりも多くて全国一位でした。(第一次産業全盛時代の明治21年、新潟県人口166万人全国一位)

 

鳥獣保護係の方には会えましたが、クマの担当者は不在でした。

新潟県のツキノワグマの推定生息数は1574頭(平成28年計算)です。

どうやってこの生息推定数を算出したのか訊ねたら、「新潟大学に頼んで出してもらった。どうやって計算したのか、県としては知らない」ということでした。

新潟県のクマは、①狩猟、②残雪期の予察駆除、③年中可能な有害駆除の3種によって、命を奪われます。

 

「第2期新潟県ツキノワグマ管理計画」の内容は、なかなかすばらしいものです。

(1)生息環境整備 (2)被害防除対策 (3)個体群管理の順に、論じられています。

一番に生息環境整備が位置付けられているのはその通りで、他県でも見習ってほしいです。野生動物は生息環境さえあれば、人間などに何もしてもらわなくとも生き抜いていけるのです。

 

有害捕獲された個体でも、場合によっては、県と市町村が連携して学習放獣を試行的に実施することになっています。

今回の訪問で聞きたかったことの一つに、いつからどうやって学習放獣を開始したのか、効果はどれくらいあるのかがあります。

たずねてみたところ、県は学習放獣に関しても何も把握しておらず、文面はすばらしいが、実際には実施しているところがないように感じました。

 

鳥獣のことで環境省に電話すると、鳥獣関係の許認可は都道府県に全て降ろしたので関知しませんという反応が返ってきます。

一方、都道府県にたずねると、県は把握していないので出先機関や市町村に聞いてくださいと言われるところも多く、都道府県がどこまで日本の鳥獣保護に責任を持っているのかというと、はなはだ不安になります。

 

人権の方は、戦後、虐げられてきた人たちが声を挙げだしたのでずいぶんと進歩したと思います。しかし、物言えぬ野生動物の生存権に関しては、声を挙げる人間がこの国にはまずいないので、生息地は破壊され、何の罪もない動物が無駄に大量捕殺されており、無責任極まりないことになっているような気がします。

 

鳥獣保護係の担当者には、ていねいに対応していただきました。ありがとうございました。林政課の担当者は不在でした。ちゃんとアポを取っておくべきだったと反省しました。新潟のナラ枯れは終息したようでした。

 

 

翌6月21日、新潟県のクマ生息地を研究者と調査しました。

 

阿賀野川の豊かな水

米どころだけあって、道中は広大な田んぼ風景が続く

 

今回の新潟県の山の調査には、熊森協会の第一顧問である宮澤正義先生の娘さん(新潟県在住)も同行してくださいました。

山に入る前に、ぜひ見ていただきたいと言われたのが、娘さん推薦の阿賀野町の人工湿原「たきがしら湿原」です。

生物の多様性が保たれた100点満点のたきがしら湿原

 

湿原には様々な花が咲き誇っていました。昆虫の種類も豊かで、研究者によると、生物相も自然湿原そのもののすばらしさだということでした。湿原の奥には当然ですが、クマもいるようです。人工湿原というものの、ここは山から湧き出た滋養豊かな湧き水を湿原に導入していますから、自然湿原のようなものではないかと思いました。木道や東屋、トイレなども良く整備されており、地元の人たちによる訪問者へのおもてなしの心が随所に見られました。観光地としては最高だと思いました。

 

お昼に、熊森新潟県支部の結成を考えてくださっている新潟県の大企業の社長さんと会食しました。

 

お蕎麦が本当においしかった

 

この後、いよいよ、みんなで新潟県のクマ生息地の調査です。

 

 奥山調査後、室谷悠子会長を中心に記念撮影

 

会津に通じる山塊には、崖が点在していました。ここの地質は、火成岩の上に硬度の低い砂岩が堆積したもので、急斜面には植生を欠いた崖が多くみられます。植物相は、もちろん豪雪地帯のものです。ここは標高帯としては日本海側のブナが出現する場所ですが、なぜかブナが見当たりません。伐採された過去があるのだろうと思われます。

林分は、自然スギやアカマツの他に、亜高木層のオニグルミ、ケンポナシ、アズキナシ、ミズキ、カエデ、シデなどで構成されていました。ミズナラ、コナラが稀なのは、ナラ枯れで枯れてしまった跡なのかもしれません。スギの人工林は生育が悪く、放置されており、もはや林業的価値のないものでした。

立派な林道が造られていましたが、通る車もほとんどなく、ここでは、クマたちの生息が保たれているように感じました。

 

林内に入ると、谷川が流れていて、カジカガエルのオタマジャクシがたくさんいました。

きれいな谷川を見る室谷会長と宮澤先生の娘さん

 

豪雪と狩猟でシカが姿を消してしまった新潟県ではありましたが、最近は、シカの生息が各地で確認され始めてきました。しかし、爆発増加しているような状況ではありません。新潟県内の山林の下層植生はまだ豊かで、昔よりは減っている可能性がありますが、野生動物たちの食料もそれなりにあるようでした。

 

まだ赤い段階のヤマグワの実(黒くなるとおいしい)

 

熊森から

行きの飛行機からではわかりにくかったのですが、帰りは新幹線だったので、新潟県の山をまじまじと車窓から見続けることができました。

新潟県の人工林率は23%と低く、しかもスギを植えた場所は奥山ではなく里山がほとんどです。市街地のすぐ後ろが、もうクマの棲む豊かな森です。

 

兵庫県で見られるような山間部の高速道路開発や長距離トンネル工事など、生息環境が人為的開発によって大きく損なわれるような場所は、ほとんど見当たりませんでした。同行してくださった研究者によると、新潟県には、月山や糸魚川流域、妙高山、奥只見方面に、今も良好な森が数多く残されているということです。自然保護団体としては、是非そのような場所の森を数100ヘクタール規模でトラストして、永久保全しておきたいです。売ってくださる山主さんがおられたら、当協会にお声かけください。

 

西日本と違って、当分、新潟県のクマの生息に危機的な状況は起きないように感じましたが、①狩猟、②残雪期の予察駆除、③年中可能な有害駆除はもちろん、地球温暖化や酸性雪による森林劣化などに、今後も、注目していきたいです。

 

クマなどの野生動物や森に親しむ新潟県民が増えてほしいので、熊森新潟県支部が結成できる日を願っています。

 

 

四国クマ生息地ツアー参加者唖然 徳島県の奥山にクマの生息環境なし 天然林までもが大崩壊 

2019年5月26日、日本熊森協会は、人工林率63%の徳島県のクマ生息地を見に行くツアーを組みました。

午前9時、徳島県那賀町の四季美谷温泉(標高400m)に集合。

 

四季美谷温泉駐車場。この谷の奥が剣山。

 

うれしいことに、徳島新聞のツアーお知らせ記事を読んで7名の方が、外部から参加してくださいました。

熊森協会からは、会長、名誉会長、本部職員2名以外に、赤松正雄顧問、元徳島県木頭村村長の藤田恵顧問をはじめ、徳島県・高知県・愛媛県の熊森会員が参加、その他那賀町の知人たちも参加してくださり、総勢35名のツアーとなりました。

 

一車線の剣山スーパー林道を車で走り、四国第二峰の剣山(1955m徳島県)をめざします。

剣山スーパー林道は9割が舗装されており、地道の1割も平らに整備されていました。

徳島県は、こんな山奥にまでと、信じられないぐらい人工林が多い県です。

崩れている人工林もありました。

 

上の人工林が崩れている

 

標高1200mまで来たところで、剣山が見えてきました。

待望の針広混交林が現れました。広葉樹はブナやミズナラなど、針葉樹はシコクシラベ(シラビソの変種)やモミなどです。

 

標高1500mの奥槍戸山の家に到着。車はここまでです。

藤田顧問が怒りを込めて語られました。

石の上に立って語る藤田顧問

 

「ここは、クマが高密度に住んでいた地域で、かつて直径1メートルを超すブナやミズナラの巨木の原生林だったんです。50年ほど前に、戦後の拡大造林政策で、ここから見える全ての山々の木が、尾根まで二束三文のパルプのために皆伐されました。伐採後、スギを植えたけれど、山が崩れたりして根付きませんでした。山の保水力が失われ、川の水量も川魚の種類や数も激減してしまいました。とんでもないことになってしまったのです。放置していたら、そのうち今のように一見、針広混交林に一部は戻りました。しかし、全て2次林であり、原生林ではありません。細い木ばかりです。内部には下層植生がありません。とうとう森に戻らなかったところもあります。奥山は急斜面な上、土壌も脆弱で、気候条件も悪い。何千年何万年と気が遠くなるような長い年月をかけて形成されてきた原生林をいったん伐ってしまうと、もう元の森には戻らない。全て元凶は拡大造林政策です。」

 

 

昼食後、徳島の方が、かつての天然林がわずかに残っており、クマの冬眠穴もあったと言われる山に、みんなで入って行きました。山の中に入ってびっくりしました。シカのお口が届くところまで、緑が全くありません。ブナ、ダケカンバ、ツツジ、ヒメシャラ等の木はところどころに残っているのですが、下層植生がほとんど何もないのです。15年前までは、2mを越えるスズタケで一面が覆われていて、やぶ漕ぎをしないと進めなかったそうです。何という変わりようでしょうか。スズタケは完全に消えており、背の低いミヤコザサにとってかわられていました。山全体が乾燥してカサカサです。あちこちで木が枯れています。

 

ディアラインがくっきりと出ている山の中

 

1時間ほど山を登り続けましたが、歩けども歩けども、クマが生息できそうな森もクマの痕跡も皆無です。この山は大崩壊しつつあると感じました。四国の山に詳しい方に聞くと、ここだけではなく、四国では一見、針広混交林のいい森に見える山の中も、今や全てこうなってしまっているということでした。四国の山は元々海底で形成された岩石の山です。雨が降るたびに表土が流れ落ちているようで、岩盤がむき出しになってきていました。たとえ植林しても、もう元の森に戻すことは無理なのではないかと感じました。

 

次郎笈(1930m)の森林限界となっている頂上が見渡せる標高1700mまで登りましたが、かつての原生林は、完全に消えていました。こんな隠れ場所のない山に、怖がりのクマがいるわけありません。今回は、クマの痕跡や巣穴を見ることができると地元の方から聞いて、ツアーを組みましたが、結局、ご参加いただいた皆様にお見せすることができず、申し訳ございませんでした。四国のクマの最後の生息地といわれている剣山周辺までもが、いかにクマが棲めない場所になってしまっていたかが分かりました。

 

四国の奥山は、クマの食糧にならないスギやヒノキの植林で埋め尽くされているだけではなく、残された自然林も大荒廃していることが分かりました。

 

森が消え芝生のようになったミヤコザサの上で最後の記念撮影

 

熊森から

絶望的な、四国のクマの生息地を見てしまいました。5年前に、このあたりの山に来られた方が、1200mより上のササは死んでいなかったと証言されていましたので、ササ枯れが猛スピードで進んだ結果だと思われます。犯人はシカということにされていますが、地球温暖化で昼夜の気温差が大きくなったことも、ササ枯れを引き起こした原因だと言う研究者もおられます。ならば、人間も原因です。

兵庫県でも京都府でも、同様の奥山大荒廃が進んでおり、クマを初めとする野生動物たちは生きられなくなり、奥山を出て、里山に集結しています。里山の植物は、地球温暖化の影響を受けにくいため、里山には豊富な食料があるからです。

私たち人間は、日本の山が、奥山から大崩壊していっていることを知って、かつての保水力豊かな山をどう取り戻すのか、奥山の動物たちの絶滅をどう止めるのか、真剣に考えねばなりません。(完)

5月25日 徳島県美波町、スギ人工林伐採跡地の自然回復状況を視察

2019年5月25日、日本熊森協会本部スタッフ4名と赤松正雄顧問は、美波町にお住いの方を訪れました。

 

この方は、30年前にUターンしてみて、子供の頃あんなにうじゃうじゃいた川や海の生き物が消えたり激減したりしているのにびっくり。

山をスギやヒノキに変えたからだと気づかれたそうです。

日本熊森協会としては、川や海の生き物が消えたのは、「森が消えれば海も死ぬ」(北海道大学松永勝彦教授著)で、スギやヒノキの植林が原因でフルボ酸鉄が山から十分供給されなくなったからだと科学的にも証明されていることを伝えました。

 

この方が、3年前に裏山の人工林を自力で伐採し、放置している場所を見せてくださいました。

 

中央が、伐採跡地

 

徳島の温暖湿潤の気候が、植物の成長に合うのでしょう。結構シカがいるというのに、シカ防除などしなくても、クマイチゴやタラノキなどトゲげのあるものを中心に、みるみる多様な植生が回復してきていました。徳島県はなんと恵まれた県なんだろうと、うらやましくなりました。

お会いした地元議員さんも、「戦後のスギ・ヒノキノの拡大造林は完全に失敗だった。森林環境税を使って、人工林を天然林にもどしたい」と、強く望まれていました。

 

ここは若者も入って地域おこしに取り組んでおり、裏山にアスレチック施設を造るなどいろいろとおもしろいことをされていて、いろんな人たちが訪れているようでした。

この日は、民宿に泊めていただきました。

台風襲来時の雨と風は恐ろしいそうですが、それ以外はとても暮らしやすくていいところだとわかりました。

 

 

 

 

京都市 自然の意思は、放置人工林の天然林化

以下は、くまもり京都府支部の報告からです。

2019年2月24日、昨年の台風以降はじめて京都市西山(ポンポン山)に行きました。

登山道の最初のほうはまだ倒木も少なく、台風による被害はあまりなかったのかと思ってしまいましたが、尾根に着く頃には人工林のスギやヒノキが折れたり根っこごと倒れたりしてすごいことになっていました。

カシ、コナラなどの広葉樹も根ごと倒れているのがあって、改めて自然の力を見せつけられた思いでした。

京都市西山 2018年2月24日 wクリックで拡大できます。

 

主原先生も、台風被害を調べて来られました。人工林が折れたり倒れたりして、大変なことになっていとそうです。

ただし、ここでは上の方の広葉樹は、倒れていません。

 

京都市左京区 2019年2月 wクリックで拡大できます。

 

この場所の倒木は、もう建材にならないそうです。

これまで膨大な費用をかけてきた人工林が、一瞬にして消えてしまいました。

放置されるとヒバノキクイムシ、マスダクロホシタマムシ、スギカミキリなどが材につく可能性があるそうです。

 

 

熊森から

自然の意思に逆らうことはできるだけしない方が、無駄なエネルギーも使わず楽です。

いずれ放置人工林は、このように自然界が処理していくと思います。

しかし、それでは手遅れになってしまうのが、水源確保、生物多様性保全、防災などです。

防災と言っても、コンクリートで山を固めてはなりません。自然の意思に反します。

天然林に戻す方が国土は強靭化するのです。

昨年暮れ、くまもり本部が高知県トラスト地を訪れ、地元の方と懇談

報告が遅れましたが、熊森本部4名(会長、名誉会長、職員2名)は、2018年12月18日と19日に、高知県香美市にある四国トラスト地の調査に入りました。

 

まず、12月18日。

兵庫県西宮市を出発して淡路島を抜け、徳島自動車道を西に進んでいくと、とてもお天気がよかったので南側に剣山が見えました。

徳島自動車道より南を望む

四国のクマはもうあの山の頂上付近にしかいないんだと思って眺めましたが、さすがに遠すぎてよくわかりません。

いったん愛媛県に少し入ってから、今度は高知自動車道を南下しました。

2018年の豪雨災害で崩壊したスギの人工林が何か所かありました。

高知自動車道は、片側車線が土砂に埋まって使えなくなっていました。復旧工事中でしたが、大変なことになっていました。

高知県大豊町

 

それにしても、トンネルの多いこと!

便利になったというものの、どれくらいの地下水脈が切られたことか。

石と違って、コンクリートは100年後劣化して崩れて来ます。その頃、修理する人はいるのだろうか。

現代人は、子孫に負の遺産を残し過ぎではないか。

こんなことを考えながら進みました。

高知自動車道トンネル

 

高速を降りて地道に入ると、四国山地が目の前に見えます。

冬だというのに山全体が緑色をしているのは、ほとんどが、スギやヒノキの人工林だからです。

ここまでよく植えたなあと思いました。

 

四国山地

 

しばらく進むと、また、スギの人工林が崩れていました。

ここは、放置されていました。

人工林の山崩れ

 

やっと、くまもりのトラスト地がある石立山が見えてきました。

このあたりは落葉広葉樹林が多く残されています。冬ですから落葉しており、山が茶色っぽく見えます。

黄色で囲んだ部分が熊森第一トラスト地

 

第一トラスト地に向かい、山に入ります。

トラスト地の下にある山

 

尾根に上がり、尾根筋を進みます。とにかく山が急です。左に落ちても右に落ちても大変なことになりそうです。

戻ろうかと何度も迷いましたが、室谷会長はどんどん前に進んでいきます。

同じ枝ぶりの木が続きますが、葉が落ちているので、なんの木かわかりません。

尾根筋を歩く

 

なぜかこんな山の中にオモトの群生がありました。

ほっと一息。

赤い実がとてもきれいです。

ということは、シカが食べないのだ。

やはり、毒草でした。

オモトの群生

 

やっとトラスト地の一番下に到着。

人工林皆伐地

 

山が急すぎて、くらくらします。

ここは、皆伐放置して天然林に戻るかどうか様子を見ている場所です。

 

私たち人間は、平地が好きなクマ・サル・シカ・イノシシを山に全部追い込みました。こんな急な所で暮らすかれらはどんなに大変だろうかと思いました。

 

やっとのことで全員、無事下山。

往復3時間程の行程で、見つけたシカの糞は2か所だけでした。

三嶺と違って、まだシカはそんなにいないようでした。

 

12月19日。

四国森林管理局の担当者にお会いして、四国のクマを滅ぼさないような森林整備をお願いしました。

新しく来られた担当者は、前向き回答で、熊森一行はうれしくて飛び上りそうになりました。!!!

 

次に、2か所のトラスト地がある高知県香美市の市長さんを表敬訪問しました。

お忙しい中、1時間も時間を取って下さり、私たちの話も色々と聞いてくださいました。

森林環境税を何に使おうかと考えておられました。

中央が市長さん 熊森本部・愛媛県支部員ら

 

午後からは、徳島県入りして、徳島県側から石立山を見ました。

その後、地元の方にいろいろと長時間、大変興味深いお話をお聞きしました。

山にとても詳しい方たちでした。

5月になったら、熊森会員にクマの棲んでいる山を案内してあげるよと言ってくださいました。

 

四国の熊森会員はもちろん、全国の熊森会員のみなさん、見学会に参加をご希望される方は、早めに本部までお知らせください。

本部からも何名か参加します。

5月になるのが、とても楽しみです。

年賀状2019年から ②日本熊森協会群馬県 川嵜實支部長(抜粋)

野生動物たちの行動変化が教えてくれている自然崩壊

 

自然は崩壊を始めています。
群馬県の自然林の中を歩いてみると倒木だらけ(注:ナラ枯れ)、下草も場所によっては「酸性雨」の影響でほとんど無し。そこに住む野生動物たちは食料が不足し、人間社会に出没するようになってきました。

人間は、環境保護者を自認する人々までもが野生動物が増えた増えたの大合唱で、ジビエ料理で地域起こしを始める始末。

しかし、国のデータは、確実に、「野生鳥獣による農業被害、林業被害は被害額、被害面積共に減少している」ことを示しています。

群馬県でも、鳥は鳴かなくなり、昆虫の姿を見ることも少なくなりました。既に「沈黙の春」の到来です。自然の崩壊と「動物であることを忘れた人間たち」への危機を、野生動物たちが私たちに教えてくれているのです。(補足:感謝すべき野生動物たちを、害獣指定して殺しているのが日本社会の現実です)

 

酸性雨が野菜の栄養価を下げている?

 

私たちは忘れかけていますが、人間の体は食べ物から出来ています。食べ物から栄養を摂取し体を維持しています。その食料に含まれる栄養素が激減しています。形はあっても中身はスカスカの状態です。土壌に含まれているミネラル分が「酸性雨」を中和するために使われているからと私は考えています。
食物は土壌が作ります。土壌が「酸性雨」で貧栄養状態になっています。野菜・果物の栄養素は50年前の20%までに激減しているそうです。

 

そして今や食物は出来る過程で大量の農薬(殺虫・殺菌・除草剤)の散布を受け、化学肥料で育てられています。さらに、私たちの口に入る過程で大量の多種食品添加物が使われています。

 

土が貧栄養、食物は農薬・食品添加物まみれ、現在に生きる人間が罹患する病気の多くの原因(生殖・免疫・精神の破壊)の基とシーア・コルボーン女史は「奪われた未来」で訴えています。

 

土壌中の微生物が「酸性雨」で死滅・減少していると考えると、人間の多くが栄養補助食品に依存していかざるをえないのが理解できます。

 

しかし、野生動物はその栄養補助食品を摂食することができませんので、中身のスカスカのどんぐり類等の食料を食べるしかありません。

 

子や孫が平和で病気に罹患しないで健康で安心して生きられる社会をめざして、今年も残された命を使っていきたいと考えています。

 

(熊森から)川嵜支部長は、体調の思わしくない中、自然保護、高齢化した町内の人たちのお世話に奔走されています。

年賀状2019年から ①東邦大学理学部 理学博士 大森禎子先生

<熊森に来た年賀状から>

大気中の硫酸濃度の上昇が、地球規模で木々を弱らせ枯らしている

 

昨年、資料をまとめました。

 

以前、発表させていただいたように、人類は二酸化炭素の発生量に比例して大気中に硫酸も発生させています。(補足:人類は、塩素も大気中に大量発生させている)

 

 

ドミニカ共和国(北緯18度 西経70度)は、アメリカの南に浮かぶ島ですが、原生林が全滅しています。

 

太平洋に浮かぶ島ハワイ島(北緯19度 西経155度)では、火山の反対のマウナロア山の北側の木が枯れています。ここは赤道に近いために気温が高く、上昇気流が起こり、北半球の硫酸を含む大気を引き寄せます。硫酸がここの樹木に附着して土壌が酸性化し、木々が枯れていっているのです。

 

硫酸に汚染された大気は上空に上がって冷却されて重くなり、北と南に分かれて下降し、北半球は偏西風の中に、南半球では極渦の中に蓄積されます。

 

南米大陸最南端のフェゴ島ではブナが全滅し、跡には幼木も草もなく地表は苔のみになってしまっていました。

 

ニュージーランド南島も、南北に伸びる山脈の西面と南端では、樹種に関係なく樹木が全滅しています。

 

汚染物の接触がないはずの赤道直下のインドネシア・カリマンタン(北緯0度 東経109度)では土壌からの溶出硫酸イオン濃度は40μeq/dm3を超えています。北半球で発生する硫酸は赤道を越えて南半球の樹木も枯らしているのです。偏西風や極渦の通過する位置の樹木の幼木は種を落とす前に枯れ、次世代の樹木は有りません。
日本は偏西風の通過道に入り、マツやナラが枯れ、偏西風の通り道は樹種に関係なく、枯れ始めております。(木々が弱ると、虫が木々を片付けに入ります。その虫を見て、多くの研究者たちは、虫が木々を枯らしたとして、農薬を用いて虫退治に躍起になっているのです)

 

(熊森から)大森先生はこれまで世界中を回って森の調査をしてこられました。しかし、硫酸濃度の上昇による木々の弱り・枯れは、経済第一の国や利潤第一の産業界にとっては公表されては困る研究であり、大森先生の論文はどの学会からもことごとく発表を拒否されています。(日本の学会の実態がわかりますね)

日本奥山学会は、大森先生に第1回日本奥山学会研究発表会で発表していただき、学会誌にも論文を掲載させていただきました。

人類は目先の便利さや快楽のために、地球上の森を枯らしているのです。もし、人類が全地球生物からなる地球裁判所に訴えられたら、確実に死刑判決が出されるでしょう。

 

 

 

 

 

 

クマたちの餌場になっていたくまもり植樹地

日本の森は、クマがいて初めて森林生態系が完成します。

くまもりは、クマの棲む町但東町(兵庫県)が大好きです。
地元や行政が土地を提供してくださったので、但東町には4か所のくまもり植樹地があります。

 

12月22日、久しぶりに2002年度の植樹地を見に行きました。

今年の豪雨で地面がえぐれた林道を、奥山に向かって車で注意深く25分間ほど進みます。

途中、あんなに暗かったヒノキの放置人工林が一部、明るくなっていました。

わあ、間伐が始まったんだ。

間伐されたヒノキの人工林と縦横に造られた作業道

 

やっと、くまもり植樹地に到着。

あれから 16年、当時、植えた3年苗のクヌギやコナラが、見上げるまでに大きくなっていました。

なつかしい植樹地風景

 

人工林の山の中に、突然、ドングリ公園?が出現。

シカが多いため、森にはなっていない

 

今年も、クマたちが存分にここを利用してくれていました。

シバグリ(手前の木)は、どれもクマ棚でいっぱい

 

クヌギやコナラの下には、ドングリの殻斗(かくと)がたくさん落ちていました。

中のドングリは全て食べられて、殻だけが残っていた

 

あっ、クマの糞です。

原型が崩れかけたクマ糞を発見

 

神戸東ロータリークラブのみなさんをはじめ、2002年にここに植樹してくださったみなさん、

この植樹地が、冬籠り前のクマたちにささやかながら食料を提供して、クマの生存を支えていますよ。

 

次にもうひとつの植樹地に向かいました。ここは、2012年にも植樹しています。

シカ除け網の中で元気に育っていた2012年のカキ苗

 

2002年に植えた柿苗のシカ除けチューブは、もう外してあります。

どの木にも今年のクマ棚と爪痕がびっしり。

クマに枝を折られた後、新しい枝をいっそう伸ばしたカキノキ(クマの剪定)

 

この場所は伐採跡地でしょうか、以前、長いこと草原でした。

今年行くと、大きく育ったススキの間から、ものすごい勢いでアカマツが伸び出していました。

森の遷移が始まったんだ!

 

「動物たちに帰れる森を、地元の人達に安心を!」

クマたちの絶滅を止めるために、森再生に挑戦する一方、くまもりは緊急避難措置として、実のなる木を奥地に次々と植えてきました。正解だったと思います。

 

人とクマの棲み分けを復活させるため、来春も、また実のなる木を奥地にいっぱい植樹しましょう!

 

 

 

 

 

 

岡山県 里山にクマの痕跡多数、奥山は人工林にも天然林にもクマの痕跡なし

私たちは狩猟免許を持っていないので、美作県民局でのクマ狩猟講習会に参加させてもらえません。

チラシ配りを終えたあと、岡山県の里山と奥山を調べにいきました。

 

里の集落周辺には、至るところに「クマ出没注意」の看板がありました。クマが来ないよう柿の木を多数伐採したのか、柿の木が以前より少なくなったと感じました。残されたほぼすべての民家のカキの木にクマが登れないよう、真新しいトタンが巻かれていました。

 

地元の女性聞いたところ、クマが出てくるので、今年、本腰を入れてカキの木を伐ったり、トタン巻きをしたりしたということです。確かにこれで人間はいいのでしょうが、食料不足のクマはどうなるのでしょうか。

集落の裏山にあるカキの木(小屋の右の木)

 

カキの木には今年来たと思われる新しいクマの爪痕がついていました。

クリックすると大きくなります

 

その後、岡山県の奥山にある若杉天然林(西粟倉村)に向かいました。

 

西粟倉村は、山全てがスギというくらい長い間スギの放置人工林で埋まっていた村でしたが、1年ぶりに訪れると、大規模な間伐があちこちで進んでおり、真っ暗だった山中が、かなり明るくなってきていました。人工林の天然林化が進み始めたのでしょうか。ならば、熊森としてはとてもうれしいです。

 

目的地である若杉原生林は、約80haのブナやミズナラ等の落葉広葉樹の貴重な天然林です。

この周辺で今年クマの目撃があったということですが、とにかく大勢の人間がこの天然林を楽しむために訪れる地なので、クマは安心して住めないのではないかと思われます。

この天然林の周囲は、延々と続くスギやヒノキの広大な人工林に覆われています。

 

クリックすると大きくなります。冬でも緑色の部分は、常緑の針葉樹です。

 

道中の延々と続く広大な人工林地帯からやっと抜け出して、熊森メンバーは紅葉のきれいな若杉天然林に到着しました。

天然林は気持ちがいい。おいしい空気を満喫する熊森メンバー

 

21年前、熊森が「くまもり原生林ツアー」を始めた頃は、クマの痕跡がこの山に数多く見られました。当時、2頭のクマが棲んでいるということでいた。

 

しかし、最近は下層植生のササがどんどんと少なくなり、木々の葉や昆虫の数も減って、森が劣化し、見通しがよくなってきました。19年前から、クマだなや看板への爪痕など、クマの痕跡は全く見られなくなっています。

 

熊森メンバーは皆「山奥のクマが、里に下りている」と体感しました。

 

岡山県では昨年、山中で1頭のクマが狩猟されましたが(集落から200メートル以上離れないと銃を撃ってはならない法律がある)、クマ狩猟によって里に出て来るクマの数は減ったのでしょうか。

岡山県では今年、里に出て来た7頭が有害捕殺されています。人身事故も発生しました。

クマと人が昔の様に棲み分けできるように、狩猟より先に、奥山放置人工林の広葉樹林化を急ぐべきではないでしょうか。

 

現地は宮本武蔵生誕の地ですが、武蔵は今の放置人工林で埋まった岡山の山を見て、何を思うでしょうか。聞いてみたいものです。

 

 

 

 

 

 

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