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2018-03-04

肉食オンパレードのファミリーレストラン 日本人の肉食化、これでいいのか

最近、久し振りにファミリーレストランに入って、メニューを見て目を疑いました。

数多いメニューのうち、魚料理はたった一つ、後は全て肉食なのです。

そういえば、昔と違って、スーパーも肉売り場の面積がものすごく大きくなっています。

日本人は、今や、肉食民族になってしまったんだと思い知らされました。

 

多くの日本人は、こんな食生活スタイルが、自然にできあがったとノーテンキに思っているのではないでしょうか。

しかし、実は、巧妙な戦略に、日本人がホイホイと乗せられてしまった結果であると船瀬俊介さんは言います。

 

現代版植民地化とは、その国の国民の食料を左右する「食民地化」であり、これによって、その国を自分の思い通りに動かすことができるようになるのだそうです。

 

<以下、ブログ船瀬塾より概要抜粋>

 

日本人はもともと肉を食べていなかった。

仏教の殺生戒の教えで自然や動物を大切にする思想観から肉食は卑しいと考えられ憚られていた。

日本人は、米と発酵食品、野草を中心とした和食で農作業などを元氣にこなしていた。

 

(熊森:かつての日本の成人男性は、米俵1俵や籠を担ぐのは当たり前だったが、肉食化した現在の日本人で担げる成人男性はほとんどいない。肉食すると筋骨隆々となるはまやかし)

 

江戸時代の弘化四(1847)年の、「神代の余波」という文献には「猪、鹿の類を食らう人、稀なり。しもざまの卑しき人も、密かにて食らいて人には言わず、肩身に恥ありき」と書いてある。

要するに、「猪とか鹿を食らう人は卑しい者だ」とはっきり書いてある。猪の肉は「牡丹」、鹿の肉は「紅葉」と隠語を用いていたし、肉を食べることは「薬食い」と呼ばれていた。

こそこそコソコソと一部の変態が食べる、今でいうゲテモノ食いみたいな感じだった。

当時、肉を食べさせるお店の名前は「ももんじ屋」と呼ばれた。「ももんじ」とは、毛の生えた化け物という意味である。 化け物を喰らうという卑しい感覚だったのだ。

 

日本人が表向きに肉を食べるようになったのは、明治になってから。しかも、食文化の自然な流れで習慣づいたのではない。そこには政治的な背景があったのだ。

ところが、「牛肉を食べると牛になる」とか、「肉を喰らうと西洋人のような顔になる」と庶民は囁きあって、肉を食べる習慣は思惑通りに広まらなかった。

 

戦後、現地の文化、価値、行動様式を本国と同じように変えさせることによってマーケットを拡大し、占領し、富を収奪することができるという植民地政策にのっとって、GHQの指導の下、アメリカは改ざんされた栄養学などを使い、いっきに日本人に肉食を広めていった。

 

 

<熊森から>

何を食するかは大変デリケートな問題なので、自然保護団体としては言及することを差し控えたいのですが、ここまで日本人が肉食化することには問題を感じます。広大な牧場づくりは森林破壊であり、肉は殺生の結果です。肉食するからには、牛たちがどのように飼われ殺されていくのか、目をそらしてはならないと思います。

 

(以下、地球・人間環境フォーラムより)

 

遠くで土煙があがっていたので「何だろう?」と車を止めると、それは広大な牧場!

土煙のように見えていたのは、何千頭もいる牛の移動で生じたものでした。

これまでのアマゾン森林破壊の最大の原因は、肉牛のための牧場開拓です。

2000年から2005年までの森林消失原因の6割は、牛の牧畜によるものといわれています。

森を切り拓いて土地を焼き、牛を放牧するのが1年目。

2 年目くらいから土地が少しずつやせてきて生産性が減り、牛の数も増えていくので、新たに森を拓いて牧場を増やす・・・これの繰り返しで、アマゾンの森が減っていったのです。

 

 

参考資料:平成12年~28年までの我が国の牛肉の供給量変化(農水省統計)

クリックしていただくと、画面が大きくなります。

一時期、狂牛病の発生でアメリカからの牛肉輸入は止まりましたが、現在は、BSEの全頭検査体制もなくなり、月齢制限もなくなって、輸入が戻っています。

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