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2019-05-30
石川県羽咋市・宝達志水町で4日間目撃され続けている子グマ、両行政は、捕獲後山へ放獣の方針
5月27日あたりから、石川県羽咋(はくい)市や宝達志水(ほうだつしみず)町で、目撃され続けている子グマがいます。この子グマが、川を泳いだり水田の畦を走ったりして捕獲隊から逃げる様子が、テレビでも放映されています。
日テレニュース24、2019年5月29日より
石川県ツキノワグマ管理計画では、市街地や田畑をクマ排除地域と決めており、ここに出てきたクマは「全て殺処分」することになっています。(熊森は、やりすぎだと思う)
何とか命を助けてやってもらいたくて、日本熊森協会本部は羽咋市の担当者に電話をしました。
担当者:
このクマは、親離れをして間もないクマのようで、単独で行動しています。川や繁みを伝って山から出てきたのではないかと思われます。昨日29日には、田んぼの畦や市街地近くの川を泳いでいるのを目撃され、市や警察、消防が駆けつけました。現在は羽咋市内での目撃も落ち着いていますので、パトロールも一旦やめました。看板設置や防災無線での呼びかけもしました。基本的に山に戻ってもらえるように見守る方針です。捕獲罠は3基設置しています。
私たちも子グマまでは殺処分したくはないので、もし捕獲されたら麻酔をかけて山に放獣する予定です。
熊森から
この子グマのことを心配してくださっている全国のみなさん、ご安心ください。行政担当者も、子グマまでは殺処分しようと思っていないようでした。日本熊森協会石川県支部も行政に電話をし、もし捕獲されたら山に返すよう頼んでくださっていました。支部のみなさん、ありがとうございます。
テレビニュースでは、人間たちがみんなで子グマを追いかけまわしていました。子グマは恐怖心でいっぱいになっていると思います。この様な対応は、クマによる人身事故を誘発します。クマが人間の生活場所に出て来た時は、クマもとまどっています。人間側が冷静になって、そっと見守ることが大切です。クマは自分から山に帰っていきます。親から離れたばかりの若グマは、どこが危険でどこが安全か、今、学んでいるのです。なんとかクマを刺激せず、見守ってやってください。
祝 環境新聞5月29日号に、室谷悠子会長の寄稿文が大きく掲載されました!
- 2019-05-30 (木)
- くまもりNEWS
四国クマ生息地ツアー参加者唖然 徳島県の奥山にクマの生息環境なし 天然林までもが大崩壊
2019年5月26日、日本熊森協会は、人工林率63%の徳島県のクマ生息地を見に行くツアーを組みました。
午前9時、徳島県那賀町の四季美谷温泉(標高400m)に集合。
うれしいことに、徳島新聞のツアーお知らせ記事を読んで7名の方が、外部から参加してくださいました。
熊森協会からは、会長、名誉会長、本部職員2名以外に、赤松正雄顧問、元徳島県木頭村村長の藤田恵顧問をはじめ、徳島県・高知県・愛媛県の熊森会員が参加、その他那賀町の知人たちも参加してくださり、総勢35名のツアーとなりました。
一車線の剣山スーパー林道を車で走り、四国第二峰の剣山(1955m徳島県)をめざします。
剣山スーパー林道は9割が舗装されており、地道の1割も平らに整備されていました。
徳島県は、こんな山奥にまでと、信じられないぐらい人工林が多い県です。
崩れている人工林もありました。
上の人工林が崩れている
標高1200mまで来たところで、剣山が見えてきました。
待望の針広混交林が現れました。広葉樹はブナやミズナラなど、針葉樹はシコクシラベ(シラビソの変種)やモミなどです。
標高1500mの奥槍戸山の家に到着。車はここまでです。
藤田顧問が怒りを込めて語られました。
石の上に立って語る藤田顧問
「ここは、クマが高密度に住んでいた地域で、かつて直径1メートルを超すブナやミズナラの巨木の原生林だったんです。50年ほど前に、戦後の拡大造林政策で、ここから見える全ての山々の木が、尾根まで二束三文のパルプのために皆伐されました。伐採後、スギを植えたけれど、山が崩れたりして根付きませんでした。山の保水力が失われ、川の水量も川魚の種類や数も激減してしまいました。とんでもないことになってしまったのです。放置していたら、そのうち今のように一見、針広混交林に一部は戻りました。しかし、全て2次林であり、原生林ではありません。細い木ばかりです。内部には下層植生がありません。とうとう森に戻らなかったところもあります。奥山は急斜面な上、土壌も脆弱で、気候条件も悪い。何千年何万年と気が遠くなるような長い年月をかけて形成されてきた原生林をいったん伐ってしまうと、もう元の森には戻らない。全て元凶は拡大造林政策です。」
昼食後、徳島の方が、かつての天然林がわずかに残っており、クマの冬眠穴もあったと言われる山に、みんなで入って行きました。山の中に入ってびっくりしました。シカのお口が届くところまで、緑が全くありません。ブナ、ダケカンバ、ツツジ、ヒメシャラ等の木はところどころに残っているのですが、下層植生がほとんど何もないのです。15年前までは、2mを越えるスズタケで一面が覆われていて、やぶ漕ぎをしないと進めなかったそうです。何という変わりようでしょうか。スズタケは完全に消えており、背の低いミヤコザサにとってかわられていました。山全体が乾燥してカサカサです。あちこちで木が枯れています。
ディアラインがくっきりと出ている山の中
1時間ほど山を登り続けましたが、歩けども歩けども、クマが生息できそうな森もクマの痕跡も皆無です。この山は大崩壊しつつあると感じました。四国の山に詳しい方に聞くと、ここだけではなく、四国では一見、針広混交林のいい森に見える山の中も、今や全てこうなってしまっているということでした。四国の山は元々海底で形成された岩石の山です。雨が降るたびに表土が流れ落ちているようで、岩盤がむき出しになってきていました。たとえ植林しても、もう元の森に戻すことは無理なのではないかと感じました。
次郎笈(1930m)の森林限界となっている頂上が見渡せる標高1700mまで登りましたが、かつての原生林は、完全に消えていました。こんな隠れ場所のない山に、怖がりのクマがいるわけありません。今回は、クマの痕跡や巣穴を見ることができると地元の方から聞いて、ツアーを組みましたが、結局、ご参加いただいた皆様にお見せすることができず、申し訳ございませんでした。四国のクマの最後の生息地といわれている剣山周辺までもが、いかにクマが棲めない場所になってしまっていたかが分かりました。
四国の奥山は、クマの食糧にならないスギやヒノキの植林で埋め尽くされているだけではなく、残された自然林も大荒廃していることが分かりました。
熊森から
絶望的な、四国のクマの生息地を見てしまいました。5年前に、このあたりの山に来られた方が、1200mより上のササは死んでいなかったと証言されていましたので、ササ枯れが猛スピードで進んだ結果だと思われます。犯人はシカということにされていますが、地球温暖化で昼夜の気温差が大きくなったことも、ササ枯れを引き起こした原因だと言う研究者もおられます。ならば、人間も原因です。
兵庫県でも京都府でも、同様の奥山大荒廃が進んでおり、クマを初めとする野生動物たちは生きられなくなり、奥山を出て、里山に集結しています。里山の植物は、地球温暖化の影響を受けにくいため、里山には豊富な食料があるからです。
私たち人間は、日本の山が、奥山から大崩壊していっていることを知って、かつての保水力豊かな山をどう取り戻すのか、奥山の動物たちの絶滅をどう止めるのか、真剣に考えねばなりません。(完)