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2019-12-29

江戸時代の実話集「北越雪譜」より        熊人を助(くまひとをたすく)

新潟県には、クマに関するすばらしい実話集が残されています。
口語訳 藤田恵 熊森顧問

 

江戸時代の実話集「北越雪譜」より

熊人を助(くまひとをたすく)

 

人が熊に助けられた話は多くの本などに出ていますが、実際に体験した人の話は珍しいので記録しておくことにしました。妻有の庄で八二歳の老人から私が聞いた内容です。

 

━━ 私は二〇歳の二月に、薪を雪車(そり)に満載して山から帰る途中で、薪の一束が雪車から転げ落ち、谷を埋うずめている積雪の割れ目に挟まってしまいました。その薪を引き上げようとしましたが重くて動きません。そこで、腹這いになって両腕を延ばし、大声と共に引き上げようとした時、足は踏ん張りがなかったため自分の身体がひっくり返って、雪の裂隙より遥か下の谷底へ落ちてしまいました。雪の上を滑り落ちたため、幸い怪我はしていませんでした。

しばらくは夢のようでしたが、ようやく正気になり、上を見ると雪の屏風を建てたようになっていて、今にも雪崩てくるのではないかと恐ろしくて生きた心地はしませんでした。非常に暗いので、せめては明るい方へ行きたいと、雪に埋まった狭い谷間を伝ってやっと空が見える所に来ました。谷底の雪の中は寒さが烈しく手足も凍えて一足歩くのもやっとのことで、こんなことでは凍え死んでしまうと自分の心を励まして、道があるかも知れないと百歩(はんちょう・約六〇㍍)ほど行きました。そこは滝がある所で四方を見ると、谷間の行き止まりで、瓶に落ちた鼠と同じく、どうすることも出来ず呆然とし、どうしたらよいのかという方策も思い付きませんでした。ふと傍らを見るとやっと潜ぐれるほどの岩窟があり、中には雪も無く入って見ると少し温かいのでした。この時にやっと気が付いて腰をさぐってみましたが、握飯の弁当を落としてしまっていたのです。

このままでは飢え死んでしまう、しかし雪を食べても五日や一〇日は命を保つことはできる。そのうちには雪車歌(そりうた)の声さえ聞こえて来れば、村の者であるから大声をあげて呼んだならば助けてくれるに決まっている。それにつけても、お伊勢様(伊勢神宮)と善光寺様にお頼みする以外にない。懸命に念仏唱え大神宮を祈っていましたが、日も暮れてかかったのでここを寝床にしようと、暗がりをさぐり探り這いながら入って見ると次第に温かくなるのでした。続けて探っていると手先に障ったのは、正しく熊だったのです。

びっくりして胸も裂けるような思いでしたが逃げる道もなく、これが命の瀬戸際と、死のうが生きようが神仏にまかす以外になしと覚悟を決め、熊どの私は薪を取りに来て谷へ落ちただけなのです、帰るには道がなく、生きて居るには食べ物もなくどうせ死んでしまう命なのです。引き裂いて殺したいならば殺して下さい。もしお情けがあるのなら助けて下さい。恐る恐る熊を撫でると、熊は起き上がった様子でした。しばらくして私の後ろへ廻り私の尻を押したので、熊の居た跡へ坐るととても暖かく、まるで巨燵にあたっているように全身が暖かくなり寒さも忘れました。熊に丁寧にお礼を言い、これからも助けて下さいと、色々と悲願を伝えたところ、熊は手をあげて私の口へ柔く何回も押し当てました。熊は蟻を喰う事を思い出して舐めてみると、甘くて少し苦みがありました。私は心も爽やかになり、熊は鼻息を鳴らして寝入りました。私はやっと助けてもらったと安心して、熊と脊中をならべて寝ることになり、なかなか眠れませんでしたが、いつの間にか寝入っていました。

翌朝、穴を出てあちこち見ましたが、やはり山に登る藤蔓もありません。熊が滝壺で水を飲んでいるので、初めてよく見ると犬七匹分ほどの大きな熊でした。耳を澄ましても雪車歌は聞こえず滝の音ばかりで、その日も虚しく暮れて、また穴の中で一夜を明かしました。熊の掌で飢えをしのいで幾日たっても雪車歌は聞こえず、こんな心細い事はありませんでした。

熊は次第に馴れ可愛くなり、飼い犬のようになり、熊も人間の心を理解し畏敬の念があるようでした。

ある日、窟の入り口で虱を取っていた時、熊が私の袖を咥えて引きながら、雪を踏み固めて道を造ってくれました。その道を進むと人の足跡がある所に来ることが出来ました。熊はすぐ走り去って行方は分かりませんでした。熊が走り去った方を拝み、全ての神仏の御蔭だと拝みながら嬉しくて足も軽やかにその日の火が点る頃に自宅へ帰りました。この時、近所の人々が集まって念仏を唱えていました。

最初は両親をはじめ一同は幽霊ではないかと、びっくりしていました。幽霊ではないと分かると、幽霊と騒いで笑いが広がり、両親もご満悦でした。薪を取りに出て四十九日目の弔いが、酒宴となりました。

私に詳しく話したのは九右エ門という百姓でした。その夜に灯火の下で書き残しましたが、もう昔の話になってしまいました。

 

 

熊森から

 

みなさんに本当のクマの姿を知ってほしい

人間に追い詰められて殺されることを知りパニックに陥っているクマの姿ばかり放映するのではなく、やさしくて、かしこくて、人間から受けた恩を一生忘れない、本当のすばらしいクマの姿をマスコミは伝えてほしい。

クマはこの国できちんと棲み分け共存を守って、奥山で生きてきました。この掟を破ったのは人間の方です。戦後、人間が奥山にどっと入ってきて、奥山をクマが棲めない所にしてしまいました。

 

クマが人を襲ったという人々に誤解を与える間違った言葉を放送禁止用語に入れてほしい。私たちがマスコミ界にこのことを訴え続けて27年になります。いまだ全く聞き入れられていません。我が国がクマを保全するも絶滅させるも、マスコミの報道姿勢次第だと感じています。

 

 

当協会宮澤正義顧問は長野市のご自宅の500坪の庭で、10頭のツキノワグマと20年間、家族として暮らされました。犬を特別賢く我慢強くしたらクマになる。

 

庭で息子さんと木登りをして遊ぶクマ(写真提供宮澤正義先生)

 

 

 

 

 

 

 

近くの川までクマさんと散歩(写真提供宮澤正義先生)

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