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2020-02-12

今度は、佐賀県で、除草剤山林散布の実証実験

水源を汚染し、森の生命を破壊する方法はもう止めよう

 

昨年、宮崎県で計画された、林業の人手不足を解消するために山林に除草剤を散布する実証実験。

熊森の宮崎県支部は水源の農薬汚染など生態系への影響が計り知れないとして、他団体と協力して中止を申し入れ、実験は中止となりました。

詳細はくまもりニュースを参照ください。

ところが、今度は、佐賀県で、山林に除草剤を撒く実証実験が行われているようです。

【以下西日本新聞により抜粋】

林業の担い手が減少する中、山林の雑草刈り作業の負担を減らそうと、佐賀県は小型無人機ドローンを飛ばして除草剤を散布し、苗木周辺の雑草の成長を抑える実証実験に本格的に乗り出す。林業の省力化は全国的な悩みで、林野庁によると実用化されれば全国で初めて。同様の実験を行った宮崎県が環境への配慮などから計画を断念した経緯もあり、佐賀県は環境影響に十分配慮しながら技術的な検討を進める考えだ。

・・・・

佐賀県内でも市民団体が1月31日、佐賀市山間部で県担当者を呼んで説明会を開催。「山で除草剤をまいて下流域の水質は大丈夫か」「市販の除草剤だから問題がないわけではない」などの疑問が相次いだ。・・・・

林業の担い手不足は深刻ですし、林業は大事な産業ですが、水源を汚染し、森の生態系を破壊しなければ続けられないならしない方がましです。知恵と技術を出しあい考えれば、代替的な方法は必ずあるはずです。

 

記事からはどのような除草剤が散布される計画なのかわかりませんが、除草剤の「グリホサート」やネオニコチノイド系農薬は、人体への有害性や生態系に壊滅的な影響を与えるとして、使用禁止や規制強化に踏み切る動きが欧米を中心にアジアでも広がっています。

インドのシッキム(Sikkim)州では、完全な有機農業をめざし、2003年に除草剤や農薬の輸入を全面禁止し、苦労もありましたが、今は、それでも農業が成り立ち、豊かな生態系が回復し、観光客も訪れるようになったというレポートがあります(英語ですが、こちらをご覧ください)。

 

佐賀県の除草剤散布に危機感を持っている人たちは、林業を愛し、自然を愛する人たちだということです。水源の保全と森の豊かな生態系の再生をめざしている自然保護団体として、私たちも、計画中止に向けて協力できることがあれば応援したいです。

佐賀県には、次世代に豊かな自然を残すためにも、山林への除草剤散布を中止していただきたいです。

 

なぜこんなことに今や日本は野生鳥獣殺害大国 

近年、我が国では、毎年おびただしい数の野生鳥獣が罠や銃で殺害されています。

 

以下のデータは再掲ですが、みなさん、どう思われますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シカ・イノシシに至っては、毎年生息推定数の半数近くもが、多くは罠にかけられた後、槍で刺され、首を絞められ、高圧電気でショック死させられ、銃で撃ち殺されているのです。

子の悲鳴、母の悲鳴、野生動物たちの断末魔の叫びが聞こえてきそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右後ろ脚がくくり罠にかかってしまったイノシシ(日本の山の中は罠だらけです)

 

猟師が減っていると言われていますが、わな猟師は増えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

急増している罠猟師

 

去年出会った罠猟師は、一人で100個の罠をかけており、駆除費として年間600万円を稼いでいると言っていました。

 

 

日本は明治になるまで1200年間、殺生禁止令が出続けていた国です。

狩猟を許されたのは、天皇家、将軍、マタギだけだったようです。

 

岡島成行著「アメリカの環境保護運動」岩波新書142の3ページには、江戸の終わりにペリーが黒船に乗ってやってきたときの話が書かれています。

黒船の乗組員たちは無数の鳥が人間を恐れることなくマストや甲板にやってくるのに驚いたとあります。これなら簡単だとばかり、乗組員たちが銃で鳥を撃ち殺したところ、日本人は、「なんと野蛮な」とあきれたそうです。結果、開国されたのですが、日米和親条約付則第十条に「(日本では)鳥獣遊猟は禁じられている。アメリカ人もこれに服すべし。」という項目が入れられました。

 

このように、生き物に畏敬の念を抱き、生き物の命を大切にしてきた日本でした。

なぜ野蛮な野生鳥獣殺害大国になり下がってしまったのでしょうか。

 

 

直接的な原因は、1999年の環境庁による「鳥獣保護法改正」です。注:国会では、改悪に「改正」という名が付くことがあります。

 

この法律で、それまであった、①狩猟、②有害駆除に加えて、③個体数調整という新たな野生鳥獣殺害方法(ワイルドライフ マネジメント)が導入されました。

 

個体数調整というのは曲者で、毎年、野生鳥獣の生息数を数えて(実際は野生鳥獣の数を数えることは不可能なので、推定計算をする)、人間が考えた適正頭数を超えていると人間が判断したら、生息地に入り込んで何の罪もない野生鳥獣を問答無用で適正数になるまで殺害して良いことにするものです。

 

当時、熊森をはじめ全国の自然保護団体が初めてひとつになり、人間に倫理観を失わせる残酷な手法である上に、生態系を大混乱に陥れるとして、個体数調整殺害の導入法案に猛反対しました。皆で大運動を展開し、廃案直前まで追い込みました。

 

しかし、残念ながら、大学の動物学教授たちが、日本では動物学を専攻しても就職先がないため、新しい仕事づくりが必要であり、教え子たちに就職先を作ってやりたいとして、強硬に法案を成立させてしまいました。

ここから日本が狂い始めたのです。

 

当初、地方自治体の行政担当者たちは、「何頭いるか正確な野生鳥獣の数など絶対にわからない上、何頭が適正数かなど人間にわかるはずがない」と、まともに取り合いませんでした。

 

しかし、国家権力というのは、有無を言わせません。

そのうち、地方自治体の行政担当者をねじ伏せて、各都道府県に野生鳥獣別に「保護管理計画」を作らせていきます。注:現在はほとんどが「管理計画」という名に変わっています。

 

表向きは、数が減ったら保護して、数が増えたら管理(殺害を意味する行政言葉)するということでしたが、当時からワイルドライフマネジメントを導入しようとした人たちは、殺害することしか考えていませんでした。

 

この法律を導入した学者たちの目論見は見事成功して、個体数調整(ワイルドライフ マネジメント)に携わる新産業がこの国に誕生しました。

毎年、野生鳥獣の生息数を推定計算する仕事、

毎年、適正頭数が何頭であるか計算する仕事、

毎年、多すぎる頭数分を殺害する仕事・・・

 

大量の野生鳥獣を殺害しても、生息環境がある限り、シカ・イノシシなどの野生鳥獣はまたすぐ元の数に戻ってしまいます。

よって、永遠に続く仕事(利権構造)が、出来上がったわけです。

 

そうこうするうちに、放置された奥山人工林の内部荒廃が進み、表土流出は止まらなくなり、山の保水力は低下。野生動物など棲めないまでに自然環境が劣化していきました。

 

そのうちさらに、酸性雨や地球温暖化などによって、奥山に残されていた貴重な自然林までもがナラ枯れや昆虫の激減、シカの食害などによって、一気に劣化し始めました。野生動物たちはもう奥山から出るしかありません。

 

ワイルドライフマネジメントに携わるようになった研究者たちは、生息地の荒廃問題には一切触れず、行政を回っては予算を組んでもらい、ひたすら野生鳥獣関連の数字ばかりを行政に提示し、推定生息数を計算しては増加していると発表し、仕事を得ようとしています。株式会社を作って大儲けする研究者まで出てきました。

 

熊森は一貫して、ワイルドライフマネジメントに反対してきました。

日本の行政は、環境省も地方自治体も、専門知識のない担当者が3年ごとにころころ変わって野生鳥獣を担当していく仕組みになっています。その結果、今や皆がワイルドライフマネジメントを受け入れるようになってしまいました。

 

日本の野生鳥獣たちにとっては悲劇です。

 

山が荒れて野生動物が棲めなくなり、人里に出てきて、中山間地の人たちが悲鳴を上げているのは本当です。

しかし、地元でも、殺さないで解決する方法があるなら、そちらを望む人は多いのです。

 

熊森は、野生鳥獣問題は野生鳥獣を殺さないで解決すべきだと考えています。

 

(1)奥山再生

一番にしなければならないのは、荒れた山をもう一度豊かにして、野生鳥獣が山に帰れるようにしてやる根治療法です。そこでの生息数の増減は自然に任せればいいのです。

 

(2)被害防除

二番目には、21世紀の猪垣となるしっかりとした防除柵を張りめぐらしたり、野生鳥獣の誘因物を除去したりして、被害を防除することです。

 

野生鳥獣にも社会があります。

毎年半数も殺してしまっていては、新しい個体ばかりになり、若い個体は老齢の個体から人との棲み分けなど生き方を学ぶ機会がなくなってしまいます。人間社会にもマイナスです。

 

環境省がワイルドライフマネジメントを導入して20年。

我が国は今や、狂気ともいえる野生鳥獣の大量殺害国家になりました。

このような恐ろしい思想は、人間社会をもむしばみます。

 

国や行政に、現状改革は全く期待できません。

 

熊森は23年間全くぶれずに声を上げ続けてきました。

●日本国民に今、声を上げる力があるかどうかにかかっています。

 

 

(完)

 

 

 

 

 

 

 

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