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2010-11-01

京都市立芸術大学で新・紙芝居を上演!

10月30日から3日間、若ぐま隊メンバー4人で京都市立芸術大学の芸術祭で新紙芝居「もりにひかりを~くまとりんごのものがたり~」を初上演しました。

今年7月の若ぐま隊ミーティングで、「熊森の活動を伝える紙芝居を作りたい」と大学生が紙芝居制作を発案。「クマと共存する心」「皮むき間伐による森の再生」をテーマに、兵庫県宍粟市でクマとの共存を実践されている果樹園の方を取材し、実話を紙芝居化しました。

クマの捕殺が連日ニュースで報道されているので、集まった人は強い関心を持って聞いてくださいました。ある方からは、「おかしいと思ったことには、国民がもっと声をあげていかないかん。君らの活動はすばらしい。がんばれ。」とのエールも。紙芝居を見てくださったみなさん、応援に駆け付けてくれた京都府支部のみなさん、ありがとうございました!
この新くまもり紙芝居を今後もどんどん上演していきたいです。

朝日新聞山梨版に熊森の猟友会会員記事

クマ 「出没」は人間への警告だ
(朝日新聞山梨版 2010年10月29日 より)

20年前仕留めたクマの剥製と米山光男さん=笛吹市御坂町下黒駒

   ■笛吹の狩人、米山光男さんに聞く

 笛吹市御坂町で桃やプラムを栽培する農家、米山光男さん(63)は狩猟免許を取得して43年になる地元猟友会の重鎮。ツキノワグマも7~8頭仕留めた狩人だが、最近頻発する「出没グマの射殺」を批判的にみる。「クマは減っている」と語り、「いま見直すべきなのは、クマの食べ物をなくしてしまった林業政策」と訴えている。(永持裕紀)

 秋から冬に同町下黒駒で米山さん夫婦が営む料理店に、米山さんが撃ったクマの剥製(はく・せい)が飾られている。仕留めた時体重約130キロだった大物とは20年前の2月、御坂山地の山奥で出会った。最初の1発が当たったのに走って近づいてきた。2発目も命中したが、すぐ足元に。3発目でクマは息絶えた。「勝負をかけた命のやりとり」だった。

 20歳の時免許を取ったのは「勝負」が面白いと思ったからだ。けれど、この大物を仕留めたころから、狩りが面白くなくなってきた。山や森、動物の様子が「おかしい」と思えてきた。

 シカが増えた。クマが減っていることと関連があると米山さんはみた。それはクマの好物のドングリがなくなったからだ。御坂の山も椎(しい)やブナなどの天然林が伐採され、針葉樹の人工林に変わった。最近はクマを見かけないと米山さんは話す。「クマもかわいそうだ」

 米山さんは昨年、氏子を務める檜峰(ひ・みね)神社(同町上黒駒)の100ヘクタール近い自然林が県の指導で伐採されたのを機に、知事と環境相あてに「林業政策の見直し」を訴える手紙を書いた。「野生動物や貴重な植物を絶やし、自然界の生態を狂わして、私たち人類まで絶やしてしまうつもりですか」と記した。

 「クマの出没」は、自然が何か大切なことを人間に伝えようとしている警告と米山さんは考える。「出没は今年ドングリが不作だからじゃない、日本中どこもドングリがなくなっているからだ」。クマ絶滅は自然のバランスを崩してしまうと、猟友会員のまま、クマと森の保護を訴える日本熊森協会に入会した。

 人間や作物に危害を加える出没グマはすぐ殺せという声もある。森の変容を見続けてきた米山さんは話す。「元々の原因が何なのか、じっくり見直すべきチャンスです」

首都圏でクマの密猟横行という通報

首都圏のある県のある村で、クマの密猟が横行しているという情報が入りました。県担当者も見過ごしているそうです。これまでわたしたちは、環境省筆頭に、警察や行政担当者がこういう問題に対して全く何もしようとしないのを、ずっと見てきました。日本の森の動物たちは、本当にかわいそうだと思います。守ってやる人も守ってやる所もどこにもないのです。昔みたいに、新聞記者が、危険をおかして暗部の犯罪行為をあばくということも聞かなくなりました。日本人から、勇気という言葉がなくなってしまったのでしょうか。

以前、お会いしたある猟友会の方が、「結局は、有害駆除名のクマ狩猟は、猟友会のモラルの問題なんや。でも、残念ながら、決まりを守って猟をしようという自分みたいな人間は、一部しかおらん。それが、日本の猟友会の実態や」と嘆いておられました。

10月31日 ある町のドングリ運びに17人

10月31日、岐阜県のある町でドングリ運びを呼びかけたら、非会員の方もたくさん来てくださって、17人で運んだそうです。1頭でも殺されるクマを助けたい。みんな一生懸命だったそうです。各地で展開されている熊森のドングリ運び。誹謗中傷をする人たちがいるため、残念ながらほとんどが公表できませんが、活動の輪がどんどんと広がっています。11月15日から狩猟が解禁されるため、ドングリ運び最終日は11月8日となりました。1頭でも多く助けましょう。

日本に残された残り少ないクマたち。もし、全国の学校が協力してくださったら、全部、助けられたのではないかと思いました。大量の自然林の広葉樹が今年枯れてしまったため、来年以降のクマたちの食料、春の山菜、夏の昆虫、秋の木の実が危ぶまれます。大荒廃させてしまった日本の森を一刻も早く豊かな森に戻さねばなりません。動物たちのため人のため。全国の学校、子供達の協力をお願いしたいです。

10月30日 やっとクマが、くまもりのドングリを見つけてくれた!

ここは、クマが今年大量に殺されている町です。もし生き残っているクマがいたら、何とか助けてやりたいとドングリを運んだのですが、前回も食べていません。もうクマがいなくなったのか、または、わたしたちが置くところが悪くて、クマが見つけられないのか。やきもきしながら10月30日に再びドングリを持っていくと、なんと、ドングリの山が消えています。横には大きなクマのウンチが。ヤッター!クマがドングリを見つけてくれた!参加者一同、思わず、歓声をあげました。だんだん、どういうところに置けばいいのかわかってきました。

クマのウンチの拡大写真

ドングリの殻が所々入っているので、確実に食べてくれているのが分かります。新たにドングリを山のように積んで帰りました。11月15日の狩猟解禁日までに何とか食べさせておきたいと、気持ちが焦ります。狩猟が始まると、ドングリ運びは狩猟者にクマの存在を教えることになり、かえって危険です。

くまもりのドングリを食べて朝帰りのクマにばったり


朝帰りのクマ

地元の方が、くまもりの運んだドングリをたっぷり食べて朝帰りするクマと、ばったり出会われました。クマはちらっと一瞬、人間のほうを見たそうですが、何も関心ないという感じで通り過ぎていったそうです。住民は、クマの後姿をパチリと撮影することができました。

ここでは、クマがカキをねらって出てくる年は、カキをあげています。その期間は、
①夜、できるだけ出歩かない。
②どうしても出る必要のあるときは、車で出る。
これだけで、クマたちとうまく共存できているのです。祖先はみんな、こうして共存してきたのです。

それにしても、山にある放置人工林には動物たちの食料が何もない。早くこれを自然林に戻してやりたいものです。

最終日海外NGOのミーティングに入り込めたが・・・   名古屋生物多様性COP10   


参加NGO のミーティング室

ドイツでのCOP9にはNGOが7000人参加したというのを聞いて、そのような海外の本気の自然保護団体とつながりたいとの一心で、熊森はCOP10に参加しました。ところが、前もって連絡を取りたいのでどのようなNGOが海外から参加するのか教えてほしいと、外務省や環境省などいろんなところにきいて回りましたが、どこも教えてくれませんでした。会議が始まってから外務省に問い合わせても、まだわからないということで、驚きました。

あきらめていたところ、10月27日の夜になって、名古屋国際会議場で、毎朝、9時から、参加NGO のミーティングが行われているという情報を得ました。このミーティングは28日が最終ということです。急遽早朝に兵庫県をたって名古屋に駆けつけ、厳重な身分証明審査などを受けてから、3名でNGOミーティングに出席しました。 40名ぐらい入れる部屋に海外からのNGOと日本の大手の自然保護団体などが半々ぐらいで集まっておられました。参加NGO は、たったこれだけ?!熊森は簡単な会の紹介後、「世界のNGOと連携を取りたいと思って初参加しました」と、一言あいさつしました。さまざまな連絡事項などでミーティングは30分間で終わってしまい、気が抜けました。


傍聴した作業部会

せっかく国際会議場に入り込んだのだから、本会議場を傍聴してみようかと思いましたが、この日は各国閣僚級の会議ということで、傍聴禁止でした。仕方なく作業部会を傍聴してみました。条約の細かい文言や記号についてでしょうか、ああでもないこうでもないと言い合っておられました。今、日本の里で大量に撃ち殺されているクマたちの命1頭も救えないなと思うとむなしくなっていきました。しかし、国際会議をのぞいてみて、いろいろとわかってくることがあり、行ってみてよかったです。

膨大な国民の税金を使って、国民には何をしているのかさっぱり分からない国民疎外の大イベントが、また一つ終わったと感じました。世の中、なんにも変わらなかった。

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